現代の社会学および文化研究において、人種とアイデンティティの概念を根本から再定義した人物がポール・ギルロイです。彼は、単なる国家的な枠組みを超えた「黒人文化」のダイナミズムを解明し、人種主義の構造を批判的に分析し続けてきました。特に、大西洋を介した文化的な相互作用に着目した彼の視点は、世界中の研究者に多大な影響を与えています。
Key Facts
- 専門分野: 文化研究、社会学、批判的人種研究。
- 主要概念: 「ブラック・アトランティック」という超国家的な文化構築空間の提唱。
- 最高栄誉: 2019年に人文学・社会科学の権威ある「ホルベルグ賞」を受賞。
- 現在の役職: ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)のサラ・パーカー・レモンド人種主義・人種化研究センター(SPRC)創設ディレクター。
- 学術的影響: 人文・社会科学分野の黒人学者の中で、最も頻繁に引用される研究者の一人として知られる。
学術的キャリアと歩み
1956年、ロンドン東端に生まれたギルロイは、ガイアナ出身の小説家ベリル・ギルロイと、科学者の父パトリックの間に誕生しました。サセックス大学で学士号を取得後、バーミンガム大学で博士号を取得。指導教授であるスチュアート・ホールのもとで、人種、階級、そして国家の文化政治に関する研究に没頭しました。
彼のキャリアは大学教授という枠に留まりません。1980年代にはグレーター・ロンドン評議会で勤務したほか、『City Limits』や『The Wire』といった雑誌の編集・執筆に携わり、音楽や文化の現場から理論を構築する姿勢を貫きました。その後、エセックス大学、ゴールドスミス・カレッジ、米国のイェール大学、ロンドン経済学院(LSE)、キングス・カレッジ・ロンドンなど、世界有数の教育機関で教鞭を執っています。
革新的理論「ブラック・アトランティック」
ギルロイの名を世界的に知らしめたのが、1993年の著書『ブラック・アトランティック:近代性と二重意識』です。この作品で彼は、黒人文化を特定の国家や民族的な「根(ルーツ)」に縛り付けるのではなく、大西洋を横断する移動の「経路(ルート)」として捉えるべきだと主張しました。
ハイブリディティと二重意識
彼は、大西洋奴隷貿易によって強制的に移動させられた人々を象徴とし、異なる文化が混ざり合うハイブリディティ(混種性)を重視しました。また、黒人が自らの出生地であるヨーロッパ的なアイデンティティと、民族的な政治的アイデンティティの両立に葛藤し、変容していく過程を「二重意識」という概念で説明しています。
芸術による解放の追求
ギルロイは、黒人が伝統的な政治システムから排除されてきた歴史を踏まえ、音楽や芸術などの文化的表現こそが、個人の自己形成と共同体の解放を実現する手段になると説きました。この視点は、黒人ディアスポラの音楽史研究においても画期的なアプローチとなりました。
学術的な評価と批判的議論
彼の理論は絶大な影響力を持ちましたが、同時に鋭い議論の対象ともなっています。例えば、ツィツィ・エラ・ジャジは、ギルロイの議論が音楽制作の空間においてアフリカ大陸そのものを軽視しており、結果としてアフリカを除外したディアスポラ論になっていると指摘しました。
また、ジュリアン・ヘンリケスは、ギルロイが重視する「移動の経路」という概念だけでは不十分であると論じました。ヘンリケスは、音の振動が物質的な移動を超えて拡散する「振動の伝播」という概念を提示し、より身体的・エーテル的な次元での文化拡散を捉える必要性を主張しています。
ポール・ギルロイのプロフィール概要
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 生年月日 | 1956年2月16日 |
| 主な学位 | バーミンガム大学 博士号(PhD) |
| 代表作 | 『The Black Atlantic』『There Ain't No Black in the Union Jack』 |
| 主要受賞歴 | ホルベルグ賞(2019年)、英国アカデミー会員(2014年) |
| 名誉博士号 | オックスフォード大学、コペンハーゲン大学、サセックス大学など多数 |
Frequently Asked Questions
「ブラック・アトランティック」とは具体的に何を指しますか?
単なる地理的な大西洋のことではなく、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパの間で絶えず人々、思想、文化が移動し、相互に影響し合う「超国家的な文化構築の空間」を指します。
ギルロイが重視した「ルート(経路)」と「ルーツ(根)」の違いは何ですか?
「ルーツ」が特定の起源や民族的な純血主義に固執する考え方であるのに対し、「ルート」は移動や交流、混交のプロセスに価値を置く考え方です。ギルロイは後者の視点こそが黒人文化の真髄であると説きました。
ホルベルグ賞とはどのような賞ですか?
人文学や社会科学の分野で傑出した貢献をした研究者に贈られる非常に権威ある賞です。ギルロイは文化研究、社会学、歴史学など多岐にわたる分野への貢献が認められ、2019年に受賞しました。
彼の研究は現代の政治にどのような影響を与えましたか?
1960〜70年代の英国における黒人政治運動が持っていた「民族的絶対主義」的な限界を批判し、より開かれた、ハイブリッドなアイデンティティに基づく政治的思考への転換を促しました。
サラ・パーカー・レモンドセンター(SPRC)とはどのような組織ですか?
ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)に設置された、人種主義と人種化(Racialisation)を専門に研究するセンターです。ギルロイが創設ディレクターを務めています。
References
- Professor Paul Gilroy | Founding Director, Sarah Parker Remond Centre | Emeritus Professor of Humanities. UCL.AC.uk. Retrieved 29 March 2021.
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- Schuessler, Jennifer (14 March 2019). "Paul Gilroy, Scholar of the Black Atlantic, Wins Holberg Prize". . 0362-4331. Retrieved 14 March 2019.
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- "Meeting Stuart Hall": Reflections on cultural theorist Stuart Hall. By , , Yasmin Gunaratnam, Vera Jocelyn, , , , , Suzanne Scafe. Curated by Yasmin Gunaratnam for , openDemocracy, 20 February 2014.
- "Paul Gilroy is designated as the Charlotte Marion Saden Professor" Archived 7 April 2015 at the , Yale Bulletin & Calendar, Volume 32, Number 31, 4 June 2004.