1917年のニューオーリンズにある歓楽街「ストーリービル」を舞台にしたミュージカル作品『ニューオーリンズ:ザ・ストーリービル・ミュージカル』は、文学界の巨星トニ・モリスンにとって初の演劇への挑戦として知られています。振付師・演出家のドナルド・マッケイル、作曲家のドロテア・フライタグと共に作り上げられたこの作品は、ワークショップや朗読劇として上演されたものの、完全な形での舞台化は果たせませんでした。
本作は、プレスリリースや資料によって『ストーリービル』や『ディストリクト・ストーリービル』など、さまざまなタイトルで呼ばれてきましたが、その核心にあるのはジャズの誕生と、当時のニューオーリンズの空気感を描き出すことにありました。
Key Facts
- 主要制作陣:トニ・モリスン(作詞・脚本)、ドナルド・マッケイル(演出・振付)、ドロテア・フライタグ(作曲)。
- 舞台設定:1917年のニューオーリンズ、ストーリービル地区。
- 上演歴:1982年にワークショップ、1984年にニューヨーク・シェイクスピア・フェスティバルで朗読劇が上演。
- 音楽的特徴:ジェリー・ロール・モートンやシドニー・ベシェの既存曲に加え、新作曲を導入。
- 結果:ブロードウェイへの進出は計画されたが、最終的に実現せず。
作品の誕生と開発の背景
このプロジェクトの原点は、1962年にドナルド・マッケイルとドロテア・フライタグが共同制作したバレエ作品『ディストリクト・ストーリービル』にあります。このバレエは、ルイ・アームストロングの若き日々にインスパイアされ、娼館の女主人や娼婦、ジャズ奏者、そして音楽を夢見る少年「リトル・ルー」の物語を描いたものでした。
その後、マッケイルは1975年にジャズの起源をテーマにしたミュージカル『ドクター・ジャズ』を手がけますが、制作上のトラブルが相次ぎ、批評家からは厳しい評価を受けるという苦い経験をします。しかし、1981年にプロデューサーのケビン・ゲブハードから、かつてのバレエ作品をフルミュージカルへ適応させてはどうかという提案を受けたことで、新たな計画が始動しました。
マッケイルは当初、アリス・チャイルドレスへの協力を求めましたが、最終的に白羽の矢が立ったのが小説家のトニ・モリスンでした。モリスンは意欲的にこのプロジェクトに参画し、フライタグと共に歌詞の執筆にも取り組みました。音楽面では、南北戦争前の音楽を取り入れるなどの工夫が凝らされ、ジャズの精神を深く掘り下げた構成となりました。
ワークショップから朗読劇へ:挫折のプロセス
1981年、本作はトニ・モリスンの劇作デビュー作としてブロードウェイ上演が発表されました。パラマウント・ピクチャーズの部門であるパラマウント・シアター・プロダクションズが支援し、衣装デザインにはジェフリー・ホルダーが起用されるなど、豪華な布陣が揃っていました。
1982年7月には、カルメン・デ・ラヴァラードやオデッタらが出演する6週間のワークショップが実施されました。モリスンはこの共同作業に「魔法のような体験」と感じていたといいます。しかし、同年9月にはパラマウントの撤退と、ブロードウェイ上演の中止が発表されます。その後、方向性を巡ってモリスン、マッケイルとプロデューサーのゲブハードの間で意見の対立が生じ、ゲブハードはプロジェクトを離脱しました。このワークショップに投じられた費用は15万ドルにのぼりました。
その後、1984年8月にジョセフ・パップのプロデュースにより、パブリック・シアターで朗読劇が上演されました。演出はロン・ハイムズが務め、モリスンの歌詞と脚本、そしてベシェやモートンの音楽が組み合わされた形で披露されました。
作品の評価と後世への影響
ドナルド・マッケイルは後に回想録の中で、この作品を「最終的に成功しなかった」と振り返っています。歌詞や言語表現は素晴らしかったものの、劇としてのまとまりに欠けていたと分析しています。特に、モリスンが書いたト書き(舞台指示)を朗読することでしか伝わらない重要な要素があり、それが観客の集中力を削ぐ要因になったと指摘しています。
モリスン自身も、1986年のインタビューで、自分を劇作家だとは思っておらず、コンセプト自体は自分が考案したものではないため、この作品を自身の実績リストに載せないようにしていたと明かしています。彼女にとってこの執筆は、ある種の「課題」のようなものだったのかもしれません。
その後、1990年代に入り、この作品の構想をさらに発展させようとする動きがありました。マッケイルは新たな作詞家・作曲家と共に『Shimmy』という作品を制作し、1994年に朗読劇が行われましたが、こちらも完全な上演には至りませんでした。
制作概要まとめ
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 主要スタッフ | トニ・モリスン(脚本・作詞)、ドナルド・マッケイル(演出・振付)、ドロテア・フライタグ(作曲) |
| 舞台設定 | 1917年 ニューオーリンズ・ストーリービル地区 |
| 主な上演形態 | ワークショップ(1982年)、朗読劇(1984年) |
| 音楽構成 | 新作曲 + ジェリー・ロール・モートン、シドニー・ベシェらの楽曲 |
| 結果 | ブロードウェイ上演に至らず、未完のまま終了 |
Frequently Asked Questions
トニ・モリスンはこの作品を自分の実績として認めていましたか?
いいえ。モリスンは、作品のコンセプトを自分が考案したわけではなく、一種の「課題」として執筆したと考えていたため、意図的に自身のクレジットに含めていませんでした。
なぜブロードウェイでの上演が実現しなかったのですか?
資金提供していたパラマウント・ピクチャーズの撤退や、作品の方向性を巡るクリエイター側とプロデューサーの意見対立などが主な要因となりました。
このミュージカルの音楽的な特徴は何ですか?
ドロテア・フライタグによる新曲に加え、ジェリー・ロール・モートンやシドニー・ベシェといったジャズの先駆者たちの楽曲が取り入れられていました。
作品が「まとまりに欠けていた」とされる理由は何ですか?
演出家のマッケイルによれば、ト書きの内容が物語の理解に不可欠であったものの、それを朗読形式で伝えることが観客の集中力を維持する妨げになったためとされています。
この作品のルーツとなったものはありますか?
1962年に制作された、ルイ・アームストロングの若き日に着想を得たバレエ作品『ディストリクト・ストーリービル』がベースとなっています。
References
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