国家歴史保存法(NHPA)が米国の文化遺産保護に果たした役割
アメリカ合衆国において、歴史的な建造物や考古学的な遺跡を保護するための最も包括的な法的枠組みとなっているのが、1966年に制定された国家歴史保存法(National Historic Preservation Act, NHPA)です。この法律は、単に古い建物を残すことだけではなく、国家的なアイデンティティを形成する文化遺産を体系的に管理し、開発と保存のバランスを取るための仕組みを構築しました。
Key Facts
- 制定日:1966年10月15日(リンドン・B・ジョンソン大統領により署名)
- 主要な成果:国家歴史登録財(NRHP)、国家歴史ランドマーク、州歴史保存事務所(SHPO)の設立
- 核心的な仕組み:連邦政府のプロジェクトが歴史的資産に与える影響を評価する「セクション106」レビューの導入
- 目的:歴史的・考古学的価値のある場所を特定し、不必要な破壊から保護すること
保存運動の歩み:NHPA誕生までの背景
1960年代以前の米国では、歴史保存を国家的な政策として扱う文化はほとんどありませんでした。しかし、19世紀半ばから民間主導の取り組みが始まっていました。例えば、ジョージ・ワシントンの邸宅であるマウントバーノンを救うために結成された「マウントバーノン女性協会」の活動は、後の保存団体のモデルとなりました。
その後、政府による法整備が段階的に進みます。1906年の古物法(Antiquities Act)では、許可なき発掘の禁止と大統領による国家記念物の指定権限が確立されました。1916年には国立公園局(NPS)が設立され、広大な土地と歴史的建造物の管理を担うことになります。さらに1935年の歴史的場所法(Historic Sites Act)や、世界恐慌時代に失業した専門家を雇用して記録保存を行った「アメリカ歴史的建造物調査(HABS)」などが、後の国家的な保存体制の基礎を築きました。
1949年には、市民の参加を促すための「国家歴史保存信託(National Trust for Historic Preservation)」が設立され、保存活動への公的な関心が高まりました。
都市開発の波と保存への危機感
第二次世界大戦後、米国は劇的な社会変化に直面します。1956年の連邦援助高速道路法による州間高速道路網の整備や、1960年代の都市再開発プログラムは、効率的な輸送や都市の近代化をもたらした一方で、多くの歴史的な街並みや建造物を破壊するという副作用を生みました。
急速な都市化によって過去の物理的な証拠が失われていく状況に、多くの人々が危機感を抱くようになります。こうした背景から、レディ・バード・ジョンソン夫人が主導した報告書『With Heritage So Rich』がまとめられ、連邦政府による活動から遺産を保護するための具体的なメカニズムと、独立した調整機関の必要性が提唱されました。これがNHPA制定の直接的な原動力となりました。
NHPAが構築した保存システム
1966年に施行されたNHPAは、以下の主要な機関と制度を創設し、保存活動を制度化しました。
1. 国家歴史登録財(NRHP)とランドマーク
国立公園局が管理する公式リストで、保存に値する地区、建物、構造物、考古学的遺跡などを指定します。登録されることで、助成金や税制上の優遇措置を受ける資格が得られます。
2. 州歴史保存事務所(SHPO)
各州および領土に設置され、州レベルでの遺産目録の作成や、国家歴史登録財への推薦、地域住民への教育・助言を行う実務的な拠点として機能しています。
3. 歴史保存諮問委員会(ACHP)
公的・民間セクターからなる23名の委員で構成され、大統領や議会に助言を行うとともに、連邦機関間の紛争解決やレビュープロセスの調整を担います。
セクション106レビュー:開発と保存の両立
NHPAの最も重要な実務的側面が「セクション106」と呼ばれるレビュープロセスです。これは、連邦政府の資金提供や許可を伴うすべてのプロジェクトにおいて、その計画が歴史的資産にどのような影響を与えるかを事前に評価することを義務付けるものです。
プロセスは主に以下の4段階で進行します:
- レビューの開始
- 歴史的資産の特定(目録作成)
- 悪影響の評価
- 悪影響への対策(回避、最小化、または緩和策の決定)
このプロセスは、必ずしも開発を禁止するものではありませんが、関係者が意見を述べ、合意書(Memorandum of Agreement)を作成することで、歴史的価値を損なわずにプロジェクトを進める道を探ります。なお、ホワイトハウス、連邦議会議事堂、最高裁判所の3つの建物は、このレビューの対象外とされています。
社会・経済への影響と専門職の誕生
NHPAの制定は、学術の世界に留まっていた考古学者や歴史家、建築史家などの専門家に、新たな就業機会を提供しました。これにより、法的なコンプライアンスを目的とした文化資源管理(Cultural Resource Management, CRM)という産業分野が確立されました。
CRMの普及により、博士号などの高度な学位を持たない学部卒業生であっても、現場での調査や目録作成を通じて専門職として生計を立てることが可能になりました。また、保存活動は観光業の振興や不動産価値の向上、地域コミュニティの生活の質の改善といった経済的メリットをもたらすことも明らかになっています。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 制定年 | 1966年 |
| 主要目的 | 米国内の歴史的・考古学的資産の体系的な保存と管理 |
| 主要機関 | ACHP(諮問委員会)、SHPO(州事務所)、NPS(国立公園局) |
| 重要プロセス | セクション106レビュー(連邦プロジェクトの影響評価) |
| 波及効果 | 文化資源管理(CRM)産業の創出、専門職の雇用拡大 |
Frequently Asked Questions
国家歴史登録財に登録されれば、建物は絶対に壊されないのですか?
いいえ、登録されていること自体が自動的に破壊を完全に防ぐわけではありません。しかし、登録されることで助成金や税制優遇の対象となり、また連邦政府が関与するプロジェクトの場合はセクション106レビューによる保護プロセスが適用されます。
セクション106レビューの主な目的は何ですか?
連邦政府が資金提供や許可を行うプロジェクトが、歴史的資産に与える潜在的な悪影響を最小限に抑えることです。関係者が協議し、回避策や緩和策を講じることで、開発と保存の妥協点を見出すことを目的としています。
文化資源管理(CRM)とは何ですか?
考古学や歴史保存などの学問的知見を、NHPAなどの法律に基づいたコンプライアンス(法令遵守)のために適用する実務的な分野のことです。公共事業に伴う遺跡調査などがこれに当たります。
SHPO(州歴史保存事務所)はどのような役割を担っていますか?
州レベルで歴史的資産の目録を作成し、国家歴史登録財への推薦を行ったり、地域の保存計画を策定したりします。また、地元住民や団体への教育や助言を行う窓口としての役割も果たしています。
NHPAが制定される前は、どのように保存が行われていたのですか?
主に富裕層などの個人や民間団体による、愛国心に基づいた点的な保存活動が中心でした。国家的な統一政策はなく、個別の建物や邸宅を博物館化して保存する形式が一般的でした。