マスグレイヴ・ワトソン:19世紀英国を彩った彫刻家の波乱の生涯

19世紀前半のイギリスにおいて、情熱と苦悩の間で芸術を追求した彫刻家がいました。マスグレイヴ・ルースウェイト・ワトソン(Musgrave Lewthwaite Watson)は、法曹界への道という親の期待を捨て、彫刻という険しい道を選んだ芸術家です。彼の人生は、経済的な困窮と芸術的な成功、そして心疾患という宿命的な闘いによって彩られていました。

Key Facts

  • 出自:カンバーランド州の裕福な農家の息子として誕生。
  • 転機:父の死後、法律の道を捨てロンドンで彫刻を学び、ローマへ留学。
  • 代表作:『諸国民を歓迎する商業』のフリーズ(帯状装飾彫刻)など。
  • 主要な仕事:トラファルガー広場のネルソン記念柱のレリーフ制作に携わる。
  • 最期:心疾患により43歳で早世。

法曹から芸術へ:波乱に満ちた修行時代

1804年にカンバーランド州で生まれたワトソンは、もともと芸術への強い憧れを持っていました。しかし、実利を重視した両親の意向により、1821年にはカーライルの事務弁護士として修行を開始します。転機が訪れたのは1823年、父の死でした。彼は迷わず法律の道を離れ、彫刻を学ぶためロンドンへ向かいます。

ロンドンでは、著名な彫刻家ジョン・フラクスマンの助言を受け、ロイヤル・アカデミーやロバート・ウィリアム・セヴィエのもとで研鑽を積みました。その後、芸術の都ローマへ渡り、1828年に帰国。独立した彫刻家として活動することを切望しましたが、現実は厳しく、フランシス・チャントリー卿などの著名な彫刻家のスタジオで助手として働く日々を余儀なくされました。

また、彼はランベスのコード人工石工場(Coade Artificial Stone Works)で2年間、公共建築や私邸向けの彫刻やフリーズの制作に従事しました。ここでは十分な報酬を得ていましたが、自身の芸術的自立への渇望は消えず、再び独立の道を模索し続けます。

John Flaxman by Musgrave Watson, University College London

芸術的評価と代表的な作品群

経済的な苦境に何度も見舞われたワトソンでしたが、1842年に完成させた巨大な石造フリーズ『諸国民を歓迎する商業(Commerce Welcoming All Nations)』によって、ついに批評家からの高い評価を得ます。高さ約5.5フィート、長さ73フィートに及ぶこの壮大な作品は、もともとロンドンのホール・オブ・コマースに設置されていましたが、現在はイズリントンのバティシュヒル・ストリート・ガーデンズで鑑賞することができます。

この作品は寓意的な構成となっており、中央に翼を広げて諸国民を歓迎する「商業」を配し、周囲に詩、音楽、絵画、航海、地理、教育などを象徴する人物像を配置しています。また、自由と保護の象徴であるブリタニアが、鎖に繋がれた人々を救い上げる様子も描かれています。

また、同年にはエルドン卿から、初代エルドン卿とその叔父であるストーウェル男爵の二人の肖像彫刻という高額な依頼を受けました。この仕事は元々チャントリー卿に依頼されていましたが、彼の死後にワトソンが引き継いだものです。

マスグレイヴ・ワトソンの主要作品一覧
作品名 制作年 設置場所・特徴
諸国民を歓迎する商業 1842年 イズリントン(元ホール・オブ・コマース)
エルドン卿とストーウェル男爵の二重肖像 1842年 オックスフォード大学ユニバーシティ・カレッジ
エリザベス1世像 1844年 ロンドン・ロイヤル・エクスチェンジ
フランシス・アグリオンビー像 1843年 カーライル
ロンズデール卿像 1845年 カーライル
ジョン・フラクスマン像 1847年 ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン

ネルソン記念柱への関わりと早すぎる死

1839年、ワトソンはトラファルガー広場のネルソン記念碑のコンペティションに設計案を提出しましたが、残念ながら落選しました。しかし、その後、当選したウィリアム・レイルトンの設計による「ネルソン記念柱」の台座部分にある、セント・ヴィンセント岬の海戦を描いたレリーフの制作を任されることになります。

しかし、彼はこの依頼の条件に不満を抱いていました。書簡の中で、彼は彫刻の題材として不適切であるとし、「世界はこのレリーフに失望するだろう」と悲観的な見解を残しています。

Watson's depiction of the Battle of Cape St Vincent on Nelson's Column.

成人してからの人生の多くを心疾患に悩まされていたワトソンは、このレリーフを完成させることなく、1847年10月28日に43歳でこの世を去りました。死の間際、彼はスタジオにあったモデルの多くを破棄させ、エルドン卿の彫刻やフラクスマン像などの未完の作品は、他の彫刻家によって完成されることとなりました。

彼はハイゲート墓地に埋葬されましたが、墓碑は立てられていません。一方で、彼の故郷であるカーライル大聖堂には、彼を記念する記念碑が建立されています。

Frequently Asked Questions

マスグレイヴ・ワトソンはどのような教育を受けましたか?

当初は親の意向でカーライルの事務弁護士として修行しましたが、その後ロンドンへ移り、ロイヤル・アカデミーやロバート・ウィリアム・セヴィエの下で彫刻を学び、さらにローマへ留学して研鑽を積みました。

代表作『諸国民を歓迎する商業』は現在どこで見られますか?

もともとはロンドンのホール・オブ・コマースに設置されていましたが、建物解体後に回収され、現在はイズリントンのバティシュヒル・ストリート・ガーデンズ(Battishill Street Gardens)に設置されています。

ネルソン記念柱の制作について、彼はどのように感じていましたか?

彼は台座のレリーフ制作を担当しましたが、題材が彫刻に適していないと考えており、完成後の世間の評価について懐疑的な考えを持っていました。

ワトソンの死後の作品はどうなりましたか?

彼が死の間際にスタジオのモデルの多くを破棄したため、残された未完の作品(エルドン卿の彫像やジョン・フラクスマン像など)は、他の彫刻家によって引き継がれ完成されました。

彼は家族を持っていましたか?

カーライルのパブ店主の娘と同居していましたが、結婚はしておらず、子供がいたかどうかについては明確に分かっていません。