19世紀後半、世界中で恐れられていたハンセン病(当時はレプラと呼ばれた皮膚病)に苦しむ人々へ、無償の愛を捧げた女性がいました。それがマザー・マリアンヌ・コープです。彼女はアメリカでの教育者・病院管理者としてのキャリアを捨て、絶望の淵にあったハワイの患者たちのために人生を捧げました。
Key Facts
- 出自:1838年ドイツ生まれ、幼少期に米国ニューヨーク州ユーティカへ移住。
- 専門性:フランシスコ会修道女として、教育および病院経営の先駆的な実績を持つ。
- ハワイでの活動:カカアコ、マウイ、そしてモロカイ島のカラウパパで患者をケア。
- 功績:人種や信仰を問わない医療提供を徹底し、女性や子供のための施設を設立。
- 精神的支柱:聖ダミアン神父の最期に寄り添い、その遺志を継承した。
原点と米国でのキャリア:教育と医療への情熱
バーバラ・コープとして生まれた彼女は、幼い頃に家族でアメリカへ渡りました。家計を支えるため、中学時代に学業を諦め繊維工場で働いた苦労人でもありました。しかし、心に抱き続けた宗教的な使命感は消えず、父の没後にフランシスコ会第三会修道女会に入会し、「マリアンヌ」という名を与えられます。
彼女はまず、ドイツ系移民のための学校で教師や校長として活躍しました。その後、その有能さは認められ、ニューヨーク州中部におけるカトリック病院の設立に尽力します。特筆すべきは、当時の社会状況に反し、「人種や信条に関わらずすべての人に医療を提供する」という革新的な方針を掲げたことです。

また、シラキュース大学医学部の学生を受け入れる体制を構築した際、患者側が学生による治療を拒否できる権利を契約に盛り込みました。この「患者の権利」を尊重する姿勢は、後のハワイでの活動における人間中心のケアの基礎となりました。
ハワイへの召命:恐れなき献身
1883年、ハワイ王国のカラカウア王から、ハンセン病患者のケアを求める切実な要請が届きます。感染への恐怖から50以上の修道会がこの依頼を断る中、当時の会長であったマリアンヌは「貧しい島民のために自分を犠牲にできる特権を心から願っている」と熱烈に答え、6人の修道女と共にホノルルへ向かいました。

彼女たちが最初に配属されたのは、オアフ島のカカアコ分院です。ここは全島から集められた患者の一次受け施設であり、重症者はモロカイ島へ送られるという過酷な環境でした。マリアンヌは、政府任命の管理者が患者を虐待していることを知り、管理者の解任を強く要求。結果として、彼女自身がこの過密状態の病院の運営を任されることになります。

その後、マウイ島に初の総合病院であるマルラニ病院を設立し、さらに1885年には、親を亡くしたハンセン病患者の娘たちのための「カピオラニ・ホーム」を開設しました。当時、患者の子供に寄り添おうとする者はほとんどおらず、彼女たちの勇気ある行動は王室からも高く評価され、カピオラニ勲章を授与されました。
モロカイ島での日々:聖ダミアンとの絆と継承
1888年、マリアンヌは人生の最大の転機となるモロカイ島のカラウパパ半島へ移ります。そこには、すでに世界的に知られていた聖ダミアン神父が活動していました。彼女は、病に侵され死にゆくダミアン神父を献身的に看護し、彼の精神的な支えとなりました。

1889年にダミアン神父が逝去すると、マリアンヌは女性や少女たちのケアに加え、少年や高齢男性のケアも正式に任されることになります。彼女は限られた資源の中で、薬の調合から生活環境の改善まで、あらゆる面で患者の生活の質を向上させようと奔走しました。

1892年には実業家ヘンリー・ペリン・ボールドウィンの寄付により、少年たちのための「ボールドウィン・ハウス」が設立されます。その後、聖心会の修道士たちが加わったことで、マリアンヌは再び女性と少女たちのためのビショップ・ホームに専念することとなりました。彼女は最期まで、絶望の中にいた人々へ尊厳ある生活を提供し続けました。

マザー・マリアンヌの活動まとめ
| 活動場所 | 主な役割・成果 | 特筆すべき点 |
|---|---|---|
| ニューヨーク州 | 学校運営・病院設立 | 人種・信条を問わない医療の提供 |
| オアフ島(カカアコ) | 分院の管理運営 | 患者虐待の撤廃と環境改善 |
| マウイ島 | マルラニ病院の設立 | 島内初の総合病院を構築 |
| モロカイ島 | ビショップ・ホーム運営 | 聖ダミアンの遺志を継ぎ、女性・子供を保護 |
Frequently Asked Questions
なぜ多くの修道会がハワイへの派遣を断ったのですか?
当時、ハンセン病は非常に感染力が強く、恐ろしい病気であると信じられていたためです。多くの人々が感染への恐怖から、患者への接近を避けていました。
マザー・マリアンヌが病院運営で重視したことは何ですか?
「誰に対しても平等に医療を提供すること」と「患者の尊厳を守ること」です。ニューヨーク時代には、患者が学生による治療を拒否できる権利を認めるなど、常に患者側の視点に立った運営を行いました。
聖ダミアン神父とはどのような関係でしたか?
共にモロカイ島で患者をケアした同志であり、マリアンヌは死の間際にあるダミアン神父を看護しました。彼の死後、彼女は彼が担っていた少年たちのケアなどの責任をも引き継ぎ、その使命を完遂させました。
カピオラニ・ホームとはどのような施設でしたか?
ハンセン病患者の子供たち、特に家を失った少女たちのためのシェルターです。当時、患者の家族であることに強い偏見があったため、修道女たちだけが彼女たちのケアを引き受けました。
彼女の活動はどのようにして終わりましたか?
彼女はモロカイ島での活動を生涯の使命とし、ニューヨークへ戻る機会を捨てて、最期まで患者たちのために尽くしました。車椅子生活となるまで、献身的なケアを続けました。
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