President Mahinda Rajapaksa at the World Economic Forum session in Jordan on 15 May 2009, just three days before the death of LTTE head Vellupillai Prabhakaran
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マヒンダ・ラジャパクサ政権の軌跡内戦終結から権力喪失まで

🗓 2026年8月6日

2005年から2015年までスリランカの大統領を務めたマヒンダ・ラジャパクサの時代は、国家にとって劇的な転換点となりました。長年国を疲弊させた内戦の終結という歴史的成果を上げた一方で、その統治手法は権威主義的であるとの批判を浴び、最終的には国民の支持を失うことになります。本記事では、彼の政権がもたらした光と影について詳しく解説します。

Key Facts

  • 内戦の終結:2009年5月、タミル・タイガース(LTTE)を撃破し、26年以上にわたる内戦に終止符を打った。
  • 権力集中:憲法改正により大統領の任期制限を撤廃し、長期政権の基盤を構築した。
  • 経済開発と債務:大規模なインフラ整備を推進したが、中国からの巨額融資により外債が急増した。
  • 人権問題:内戦末期における民間人虐殺などの戦争犯罪疑惑が、国連や国際社会から指摘された。
  • 政権交代:2015年の大統領選で、元側近のマイトリパラ・シリセナに敗北し退任した。

内戦の終結と軍事的勝利

2005年の大統領選で僅差で勝利したラジャパクサ氏は、就任直後から強硬な姿勢に転じました。彼は国防大臣と財務大臣を兼任し、軍の指揮権を掌握。サラス・フォンセカ陸軍司令官や実弟のゴタバヤ・ラジャパクサ国防次官とともに、分離独立を掲げるタミル・タイガース(LTTE)への総攻撃を仕掛けました。

当初は平和交渉の姿勢を見せていたものの、実際にはシンハラ民族主義政党と連携し、軍事権限の拡大を推進。2006年のマビル・アル貯水池を巡る紛争を機に攻勢を強め、2009年5月18日に完全勝利を宣言しました。これにより、LTTEの指導者ヴェループッライ・プラバカランが殺害され、スリランカは「テロからの解放」を迎えました。

President Mahinda Rajapaksa at the World Economic Forum session in Jordan on 15 May 2009, just three days before the death of LTTE head Vellupillai Prabhakaran

権力の拡大と統治体制の変容

内戦勝利による絶大な人気を背景に、ラジャパクサ政権は急速に権力を集中させました。2010年には、大統領の任期制限を撤廃する憲法改正を強行。これにより、3期以上の就任が可能となり、実質的な終身権力の道を切り拓きました。

また、司法への介入も強まりました。2013年には最高裁判所長官を解任し、自身の側近を後任に据えるなど、チェック・アンド・バランス(抑制と均衡)の機能を弱体化させました。こうした動きは、国内外から「権威主義的な統治」であるとの強い批判を招くことになります。

経済成長の光と影:インフラ開発と中国の影響

戦後の復興期、政権は大規模な国家プロジェクトを次々と展開しました。コロンボ・ロータスタワーやマタンナ・ラジャパクサ国際空港など、象徴的なインフラ整備が進められ、一時的にGDP成長率は7%を超えたと発表されました。

しかし、これらの開発の多くは中国からの巨額融資に依存しており、結果として国の外債を3倍にまで膨らませ、深刻な経済危機を招きました。また、後任政権による監査では、GDP成長率が水増しされていたことや、多額の不透明な債務が存在していたことが判明しています。

ラジャパクサ政権下の主要インフラプロジェクト
プロジェクト名 主な目的・特徴
コロンボ・ロータスタワー 都市の象徴的な通信・観光タワー
マガンプラ・マヒンダ・ラジャパクサ港 南部地域の物流拠点整備
マッタラ・ラジャパクサ国際空港 地方からの航空アクセス向上
コロンボ〜カトゥナヤケ高速道路 首都圏の交通渋滞緩和と物流効率化

人権侵害の疑惑と国際的な批判

軍事的勝利の裏側で、深刻な人権侵害の疑いが浮上しました。国連の専門家パネルは、内戦末期の数週間で最大4万人が死亡したと報告。民間人への砲撃や処刑、女性兵士への性的暴行などの証拠が報じられました。

また、政権に批判的なジャーナリストへの弾圧も激しく、2009年には親交のあったラサンタ・ウィクラマトゥンゲ氏が暗殺される事件が発生しました。ラジャパクサ政権はこれらの戦争犯罪や弾圧の疑惑を全面的に否定し続けましたが、国際社会からの圧力は強まりました。

2015年の失脚と政権交代

2015年の大統領選を前に、政権内部から亀裂が生じました。保健大臣であったマイトリパラ・シリセナ氏が離反し、野党連合の共通候補として出馬。親族登用(ネポティズム)や汚職、独裁的な政治手法に不満を持つ層がシリセナ氏に結集しました。

さらに、選挙戦においては中国からの不透明な資金提供があったとの疑惑も報じられました。結果として、ラジャパクサ氏は得票率47.6%に留まり、かつての側近であったシリセナ氏に敗北。10年にわたる独裁的な支配に終止符が打たれました。

Sri Lankan Presidential Election 2010 – Winners of Districts

Frequently Asked Questions

ラジャパクサ大統領はなぜ内戦を終わらせることができたのですか?

国防大臣を兼任して軍の指揮権を完全に掌握し、サラス・フォンセカ司令官らと共に強力な軍事攻勢を仕掛けたためです。また、民族主義政党と連携して軍への権限を拡大し、妥協のない殲滅作戦を展開しました。

任期制限の撤廃はどのような影響を与えましたか?

大統領が3期以上の就任を可能にしたことで、長期政権の基盤が作られました。同時に、人事任命における独立した諮問機関が廃止され、司法や選挙管理委員会などの独立機関への大統領の支配力が強まりました。

中国との関係が経済にどのような影響を及ぼしましたか?

大規模なインフラ整備が進んだ一方で、中国からの巨額融資により外債が急増しました。これが後の経済危機の一因となり、また選挙資金として中国側から不透明な資金提供があったという疑惑も浮上しました。

戦争犯罪の疑惑について、政府はどう対応しましたか?

ラジャパクサ政権は、国連による調査や国際的な戦争犯罪の指摘を全面的に否定しました。国内での調査を主張しましたが、国際社会からは不十分であると見なされていました。

2015年の選挙で敗北した主な要因は何ですか?

権威主義的な統治、親族へのポスト配分(ネポティズム)、汚職への不満に加え、政権内部からシリセナ氏が離反して野党と結集したことが決定打となりました。

References

  1. Term as Prime Minister was disputed with . No-confidence motion was passed on 14 November 2018, with functions and duties as PM suspended by a court on 3 December 2018.
  2. : පර්සි මහේන්ද්‍ර රාජපක්ෂ; : பெர்சி மகேந்திர ராஜபக்ஷஷ

📸 フォトギャラリー

President Mahinda Rajapaksa at the World Economic Forum session in Jordan on 15 May 2009, just three days before the death of LTTE head Vellupillai Prabhakaran
Sri Lankan Presidential Election 2010 – Winners of Districts
Sri Lankan Presidential Election 2015 – Winners of polling divisions
Rajapaksa election posters