タイのナコンラチャシマ近郊に位置するコラート王立タイ空軍基地(Korat RTAFB)は、冷戦期、特にベトナム戦争においてアメリカ空軍の極めて重要な戦略拠点として機能しました。1955年に建設されたこの基地は、タイ空軍の所有でありながら、長年にわたり米軍の強力な運用能力を支え、東南アジアにおける航空作戦の中核を担いました。
基地の発展とともに、隣接して建設された米陸軍の支援施設「キャンプ・フレンドシップ」は、数千人の人員を収容する巨大な後方支援拠点となり、空軍基地と連携して大規模な軍事作戦を可能にしました。

主要な事実(Key Facts)
- 運用期間:1955年から現在まで(1964年〜1976年は米太平洋空軍が管理)。
- 主要任務:ベトナム戦争中の北ベトナムおよびラオス、カンボジアへの爆撃・電子戦・救難作戦。
- 運用機体:F-105、F-4、A-7D、F-111、EC-121、EB-66、AC-130など多岐にわたる。
- 重要施設:米陸軍の巨大支援拠点「キャンプ・フレンドシップ」が併設されていた。
- 現在の状況:タイ空軍が管理し、F-16などの近代的な戦闘機が配備されている。
ベトナム戦争期の展開と発展
初期の展開と「キャンプ・ナスティ」
1964年7月、米空軍の戦闘航空団をサポートするため、大規模な基地建設が始まりました。約500人の人員が投入され、同年10月までに主要施設が完成しましたが、初期の居住環境は非常に劣悪であったため、米陸軍の快適な施設である「キャンプ・フレンドシップ」とは対照的に、空軍エリアは「キャンプ・ナスティ(不快なキャンプ)」というあだ名で呼ばれていました。

F-105 サンダーチーフによる猛攻
1964年のトンキン湾事件を受け、日本(横田基地)からF-105Dが急遽展開し、作戦が開始されました。その後、第388戦術戦闘航空団(TFW)が結成され、F-105による北ベトナムへの攻撃が本格化します。特にタイグエン製鉄所への攻撃や、ハノイのポール・ドゥメール橋の破壊作戦などで中心的な役割を果たしました。



F-105は高い損耗率に直面しましたが、それでもその攻撃力は不可欠であり、整備員たちは熱帯の激しい日差しや豪雨から機体を守るため、巨大な格納庫内で昼夜を問わずメンテナンスに当たりました。



「ワイルド・ウィーゼル」と電子戦の展開
敵の地対空ミサイル(SAM)や対空砲火(AAA)を無力化するため、ワイルド・ウィーゼル(Wild Weasel)と呼ばれる特殊任務機(F-105F/G)が配備されました。彼らはレーダーを検知し、敵の防空網を制圧することで、後続の爆撃機を保護する危険な任務を遂行しました。


また、EB-66デストロイヤーによる通信妨害や、EC-121(カレッジ・アイ)による早期警戒・管制任務など、高度な電子戦能力がコラート基地に集約されていました。





機体構成の変遷と作戦の多様化
F-4 ファントムIIへの移行
1968年半ばから、基地の主力機はF-105から最新のF-4EファントムIIへと移行しました。これにより、多目的運用能力が向上し、空戦能力と攻撃能力の両立が図られました。


A-7D、F-111、AC-130の配備
1972年以降、精密攻撃が可能なA-7DコルセアIIや、高速低空侵入が可能なF-111A、そして強力な火力を誇るAC-130スペクターガンシップが次々と配備されました。これらの機体は、カンボジアでの最終作戦や、1975年のメイグエズ号事件などの緊急作戦にも投入されました。







キャンプ・フレンドシップ:米陸軍の巨大支援拠点
コラート空軍基地の隣に位置したキャンプ・フレンドシップは、第9兵站コマンド傘下の第44工兵グループが管理する大規模施設でした。ここは単なるキャンプではなく、約4,000人を収容できる兵舎、総合病院、スポーツ施設、クラブなどを備えた、一つの街のような構造となっていました。




1970年の米軍撤退計画に伴い、この施設は段階的に閉鎖され、多くがタイ陸軍に引き継がれました。しかし、空軍は一部の施設を1976年の完全撤退まで利用し続けました。


撤退とタイ空軍への継承
1974年から1975年にかけて、米軍はタイからの段階的な撤退を開始しました。各航空団は米国本土やフィリピンのクラーク基地へと移転し、1976年初頭にコラート基地は完全にタイ空軍に返還されました。
返還後の基地には、F-5E/FタイガーIIやOV-10Cなどが配備され、その後2000年代には米国からF-16ファイティング・ファルコンが導入されるなど、現代的な防空拠点として進化を続けています。


基地概要まとめ
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 所在地 | タイ、ナコンラチャシマ近郊 |
| 滑走路 | コンクリート製(長さ:約3,000m) |
| 主要運用部隊(米軍時代) | 第388戦術戦闘航空団、第354戦術戦闘航空団など |
| 主な運用機体 | F-105, F-4, A-7D, F-111, AC-130, EB-66 |
| 管理権限の変遷 | タイ空軍 → 米太平洋空軍(1964-76) → タイ空軍 |
Frequently Asked Questions
「キャンプ・ナスティ」とは何でしたか?
コラート空軍基地の初期に建設された米空軍の居住エリアの俗称です。設備が非常に不十分で劣悪だったため、隣接する米陸軍の快適な施設「キャンプ・フレンドシップ」と対比してそう呼ばれていました。
ワイルド・ウィーゼル任務とはどのようなものでしたか?
敵の地対空ミサイル(SAM)レーダーを検知し、それを攻撃して無力化させる特殊な任務です。これにより、後続の爆撃機が安全に目標へ到達できるよう防空網を制圧することが目的でした。
キャンプ・フレンドシップにはどのような施設がありましたか?
約4,000人を収容できる兵舎のほか、大規模な病院、軍用車両のモータープール、スポーツフィールド、将校・下士官・兵向けのクラブなどが完備されていました。
米軍はいつコラート基地を完全に去ったのですか?
1974年から撤退が始まり、1975年末までに主要な戦闘航空団が移転し、1976年初頭に基地の管理権が完全にタイ空軍に返還されました。
現在、この基地ではどのような機体が運用されていますか?
タイ空軍が管理しており、2003年および2004年に米国から導入されたF-16A/Bファイティング・ファルコンなどが配備され、国防の要として運用されています。
References
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- "History of US Army Support Command Thailand (USARSUPTHAI)".
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