アメリカ西部の歴史において、法と秩序、そして荒野の開拓を象徴する人物の一人がジョン・ホートン・スローターです。テキサスの広大な大地でカウボーイとしての基礎を築き、後にアリゾナで伝説的な保安官として名を馳せた彼は、まさに「ワイルドウエスト」を体現した人生を送りました。
主要な事実(Key Facts)
- 出自:1841年、ルイジアナ州の馬牧場で誕生。
- 経歴:テキサスレンジャー、南北戦争従軍、家畜輸送業、牧場主、保安官を歴任。
- 功績:アリゾナ州コチーゼ郡保安官として、アパッチ族の指導者ジェロニモの捕縛に貢献。
- 所有地:米墨国境付近に広大なサンベルナルディーノ牧場を設立。
- 没年:1922年2月16日、アリゾナ州ダグラスにて死去。
若き日の経験とテキサスでの形成期
スローターは1841年、ルイジアナ州サビン郡の馬牧場で生まれました。教育はテキサス州のサビン郡およびコールドウェル郡の学校で受けましたが、彼の真の学びは現場にありました。メキシコのバケーロ(熟練した牧童)から、スペイン語と家畜の追い込み方を習得したことが、後のキャリアの礎となりました。
1860年代初頭にはテキサスレンジャーとして活動し、入植者をコマンチ族の襲撃から守る任務に就きました。その後、南北戦争が勃端すると南部連合軍に加わり、テキサス州オースティンの西側に位置するバーネット郡で北軍と戦いました。
家畜輸送業からアリゾナの牧場主へ
1874年、スローターは兄弟と共にサンアントニオ南部のアタスコサ郡で家畜輸送業を開始しました。「サンアントニオ・ランチ・カンパニー」を設立し、有名なチショム・トレイル(テキサスからカンザスへ牛を運ぶ主要ルート)を利用して大規模な牛の移動に従事しました。この事業には、従兄弟のルイス・ウォーレン・ニーザリンやジェームズ・フランクリン・ニーザリンも深く関わっていました。
1870年代後半になると、彼は活動拠点をニューメキシコへと移し、家畜取引を行いながら自身の牧場設立を計画します。最終的に彼が選んだ地はアリゾナ準州でした。チャールストンに定住した後、1884年にはダグラス近郊の米墨国境沿いに位置するサンベルナルディーノ牧場を購入し、大規模な経営に乗り出しました。
コチーゼ郡の保安官としての活躍
1886年、スローターはアリゾナ州コチーゼ郡の保安官に選出されました。これは、歴史的に有名な「OK牧場の銃撃戦」から5年後のことです。2期にわたって就任した彼は、リピーターライフル(ヘンリーライフル)やショットガン、リボルバーを駆使して治安維持に奔走しました。
彼の最大の功績の一つは、アパッチ族の指導者ジェロニモの追跡を支援したことです。結果としてジェロニモはスローターのサンベルナルディーノ牧場で捕らえられました。また、ジャック・テイラー・ギャングなどの無法者たちを逮捕し、法の下に裁かせることで地域の秩序を確立しました。
ギャンブルと執念の追跡
公務の傍ら、スローターはポーカーの熟練プレイヤーとしても知られていました。特にブラフ(ハッタリ)に長けており、家畜王ジョン・チサムらと夜通し勝負に興じることがありました。ある時、サンアントニオでブライアン・ギャラガーという家畜泥棒に騙され、勝ち金を奪われたことがありました。スローターは諦めず、ニューメキシコのチサムの牧場までギャラガーを追跡し、最終的に彼を射殺して決着をつけました。
私生活と家族の歩み
1871年にエリザ・アデライン・ハリスと結婚し、4人の子供をもうけましたが、成人できたのはアディーとウィリーの2人のみでした。妻のエリザは1877年、ツーソンで天然痘により早世しました。
その後、1879年に18歳だったコーラ・ヴィオラ・ハウエルと再婚しました。二人の間に実子は得られませんでしたが、複数の養子を迎えました。その中には、1896年にメキシコで「アパッチ・キッド」を追跡していた際に出会ったアパッチ・メイが含まれています。
なお、かつてはジョン・スウェインという人物がスローターの奴隷であったという説がありましたが、これは誤りです。実際には、スローターは奴隷を所有したことはなく、スウェインは1879年にテキサスで雇われた従業員でした。その後、スウェインは独立してトゥームストーンに定住し、1945年に100歳近い高齢で亡くなるまで同地の住民として過ごしました。
晩年と最期
晩年、病に侵されたスローターは、アリゾナ州ダグラスの12番街にあるアパートへと移り住みました。1922年2月15日の夜に息を引き取り、翌朝に遺体で発見されました。彼はダグラスのカルバリー墓地に埋葬され、その波乱に満ちた人生に幕を閉じました。
| 期間/年代 | 主な活動・役割 | 主要な出来事 |
|---|---|---|
| 1860年代 | テキサスレンジャー / 南部連合軍 | コマンチ族への対抗、南北戦争への従軍 |
| 1874年〜 | 家畜輸送業者 | サンアントニオ・ランチ・カンパニー設立、チショム・トレイルの利用 |
| 1884年〜 | 牧場主 | サンベルナルディーノ牧場の購入と経営 |
| 1886年〜 | コチーゼ郡保安官 | ジェロニモの捕縛支援、無法者の検挙 |
Frequently Asked Questions
ジョン・スローターはどのような武器を使用していましたか?
彼は治安維持のため、リボルバー(シックスシューター)、ショットガン、そして連射可能なヘンリーライフルを使用していました。
ジェロニモとの関係について教えてください。
スローターは保安官としてジェロニモの追跡を支援し、最終的にジェロニモはスローターが所有するサンベルナルディーノ牧場で拘束されました。
彼は本当に奴隷を所有していたのでしょうか?
いいえ、ジョン・ホートン・スローターが奴隷を所有していたという記録はありません。ジョン・スウェインという人物は奴隷ではなく、テキサスで雇われた従業員でした。
ポーカーでのエピソードはありますか?
彼はブラフを得意とする優れたプレイヤーで、家畜王ジョン・チサムらと夜通しプレイしていました。また、自分を騙した家畜泥棒をニューメキシコまで追い詰めて射殺したという激しい一面も持っていました。
彼の家族構成はどうでしたか?
最初の妻エリザとの間に4人の子供(生存したのは2人)がおり、後に再婚したコーラとは実子はなしでしたが、アパッチ・メイを含む複数の養子を育てました。