20世紀前半のアメリカ演劇界において、類まれなる成功と激しい論争を巻き起こした人物がいました。ジェド・ハリス(本名:ジェイコブ・ヒルシュ・ホロウィッツ)は、その圧倒的な自信と鋭い審美眼で、ブロードウェイに数々の金字塔を打ち立てたプロデューサー兼演出家です。彼は才能ある劇作家や俳優を世に送り出す一方で、その気まぐれで傲慢な性格から、業界内外で「最も嫌われた男」の一人と称されることとなりました。
Key Facts
- 輝かしい実績:1925年から1956年にかけて31作品をプロデュース・演出。
- 記録的な成功:28歳にして18ヶ月の間に4作連続でヒット作を飛ばし、『タイム』誌の表紙を飾った。
- 受賞歴:プロデュースした作品でトニー賞やピューリッツァー賞(ソーントン・ワイルダー作)を含む7つの賞を獲得。
- 代表作:『わが町』『るつぼ』『王室一家』『フロントページ』など。
- 複雑な人間関係:キャサリン・ヘプバーンやローレンス・オリヴィエら名優たちと仕事をしたが、激しい衝突も多かった。
波乱に満ちた早年期とキャリアの幕開け
1900年、オーストリア=ハンガリー帝国のウィーンに生まれたハリスは、翌1901年に家族と共にアメリカへ移住しました。ニュージャージー州で教育を受けた後、17歳でイェール大学に入学しますが、大学の保守的な環境に嫌気がさし、「金持ちでも鈍感でもない自分には耐えられない」と言い残して1920年に中退します。
その後、彼は演劇の世界に飛び込み、1925年から1956年までプロデューサーおよび演出家として活動しました。特に1920年代後半から30年代にかけての躍進は目覚ましく、『ブロードウェイ』(1926年)や『フロントページ』(1928年)などの大ヒット作を連発。若くして業界の寵児となり、その影響力は絶大なものとなりました。

演劇界の寵児としての功績と「悪名」
ハリスの最大の功績は、時代を象徴する名作を世に送り出したことです。ソーントン・ワイルダーの傑作『わが町』(1938年)のプロデュースや、後にトニー賞を受賞する『るつぼ』(1953年)の演出など、彼の作品選びと演出力は高く評価されていました。多くの若手劇作家にとって、ハリスに作品を手にしてもらうことは最大の願望であったと言われています。
しかし、その才能の裏側には、周囲を翻弄する強烈な個性が潜んでいました。ニューヨーク・タイムズ紙が「断続的な魅力を持つ華やかな人物」と評したように、彼は自信に満ち溢れていましたが、同時に傲慢で攻撃的な振る舞いでも知られていました。共同作業をしたジョージ・S・カウフマンは彼を激しく嫌い、ローレンス・オリヴィエに至っては「人生で出会った中で最も忌まわしい男」とまで言い切っています。オリヴィエは後に、シェイクスピア劇『リチャード三世』を演じる際のメイクのモデルにハリスを起用し、ある種の復讐を果たしたという逸話が残っています。
また、キャサリン・ヘプバーンとの関係も険しいものでした。出演作『ザ・レイク』(1933年)が酷評された際、ハリスは彼女の芸術的な苦悩よりも金銭的な利益を優先する態度を見せ、最終的に彼女は全財産を彼に支払うことで契約を解消したと伝えられています。
映画への挑戦と晩年
舞台での成功を収めていたハリスでしたが、映画界への移行には慎重でした。初期には舞台作品の映画化に関わりましたが、1950年代に入ると自らストーリーを執筆するようになります。『ナイト・ピープル』(1954年)ではアカデミー賞の脚本賞にノミネートされるなど、スクリーンにおいてもその才能を発揮しました。
私生活では3度の結婚を経験しましたが、すべて離婚に終わっています。一方で、女優ルース・ゴードンとは長年のパートナー関係を築き、間に息子をもうけました。晩年はパトリシア・リン・バロウズのサポートを受け、自伝『Dance on the High Wire』の執筆や、ディック・キャベットの番組への出演を通じて自らの人生を振り返りました。
1979年11月15日、ニューヨーク市の大学病院にて79歳でこの世を去りました。死後、その功績が認められ、1981年にアメリカ演劇殿堂(American Theatre Hall of Fame)に殿堂入りを果たしています。
ジェド・ハリスの主要キャリアまとめ
ハリスが手がけた代表的な作品と、その役割を以下にまとめます。
| 年代 | 作品名 | 役割 | 特記事項 |
|---|---|---|---|
| 1928年 | フロントページ | プロデューサー | ブロードウェイでの大ヒット作 |
| 1938年 | わが町 | プロデューサー・演出 | 演劇史に残る名作 |
| 1947年 | 相続人 | 演出 | ブロードウェイ初演を演出 |
| 1953年 | るつぼ | 演出 | トニー賞最優秀作品賞受賞 |
| 1954年 | ナイト・ピープル | ストーリー執筆 | アカデミー賞脚本賞ノミネート |
Frequently Asked Questions
ジェド・ハリスはどのような人物として知られていましたか?
類まれな才能を持つプロデューサーでありながら、非常に傲慢で気難しい性格の持ち主として知られていました。多くの名優や劇作家に影響を与えましたが、同時に激しく嫌われるという、極端な二面性を持った人物でした。
彼がプロデュースした最も有名な作品は何ですか?
数多くありますが、特にソーントン・ワイルダーの『わが町』や、トニー賞を受賞した『るつぼ』などが演劇史上重要な作品として挙げられます。
ローレンス・オリヴィエとの関係はどうだったのでしょうか?
非常に険悪でした。オリヴィエは彼を「最も忌まわしい男」と呼び、舞台『リチャード三世』の役作りにおいて、ハリスの容姿をメイクの参考にすることで彼への反感を表現したと言われています。
映画界でも成功を収めたのでしょうか?
はい。舞台ほどではありませんが、1950年代にストーリーライターとして活動し、『ナイト・ピープル』でアカデミー賞にノミネートされるなど、高い評価を得ました。
ディズニー映画のキャラクターに影響を与えたというのは本当ですか?
はい。ローレンス・オリヴィエやハロルド・クラルマンの証言によれば、1933年のディズニー映画『三匹の子ぶた』に登場する「大きな悪い狼」のモデルはジェド・ハリスであったとされており、後にウォルト・ディズニー本人によって認められたとされています。
References
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