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1999年イスラエル総選挙エフド・バラクの勝利と政治的転換点

🗓 2026年8月7日

1999年5月17日、イスラエルでは政権に対する不信任投票を受け、首相および国会(クネセット)の早期総選挙が実施されました。この選挙は、当時のベンヤミン・ネタニヤフ首相が再選を目指して出馬した一方、対立候補のエフド・バラク氏が圧倒的な支持を集め、政権交代を実現させた歴史的な転換点となりました。

当時のイスラエルでは、首相を国民が直接選出する制度が導入されており、1996年に続き2回目となる直接選挙が行われました。有権者の関心は非常に高く、投票率は78.71%に達しました。

Key Facts

  • 結果:エフド・バラク氏(ワン・イスラエル)が得票率56.08%で勝利し、新首相に就任。
  • 背景:ネタニヤフ政権下でのパレスチナ和平交渉の停滞と、レバノン南部での軍事作戦による犠牲者の増加が不満を招いた。
  • 公約:バラク氏はパレスチナとの和平交渉の進展と、2000年7月までのレバノンからの撤退を掲げた。
  • 国会状況:バラク氏が率いる「ワン・イスラエル」連合が第1党となったが、連立政権の形成には多くの小政党との調整が必要となった。

選挙に至る政治的背景

ネタニヤフ首相率いるリクード党政権は、1998年のワイ河覚書(Wye River Memorandum)の採択など和平への取り組みを見せたものの、その後の交渉は難航しました。この状況に対し、左派からは「進展が遅すぎる」との批判が上がり、一方で右派からは「領土譲歩は受け入れられない」という強い反発を受け、政権は左右両端から支持を失っていきました。

さらに、リクード党を中心とした連立体制が崩壊し、党内からも離脱者が相次ぎました。特にレバノン南部での長期的な占領に伴う軍事的勝利の不在と死傷者の増加は、有権者の心境を大きく変化させました。最終的に予算案の通過が困難となり、1999年1月に早期選挙が決定しました。

対立構造と陣営の形成

野党第一党である労働党のエフド・バラク氏は、中道左派の結束を強めるため、ゲシェルおよびメイマドと連合し「ワン・イスラエル」を結成しました。これにより、安定した連立政権を構築するための基盤を整えました。

一方、右派陣営ではリクード党から離脱した勢力が「国家連合(National Union)」などを結成し、ネタニヤフ氏の譲歩策に反対する強硬な姿勢を示しました。

選挙戦の展開と各党の戦略

当初は、右派のベニー・ベギン氏やアラブ系政党バラドのアズミ・ビシャーラ氏、中道派のイツハク・モルデカイ氏らも首相候補として出馬を予定していました。しかし、選挙戦が進むにつれ、彼らが当選する可能性が低いことが明白となり、主要候補であるバラク氏やネタニヤフ氏への票の分散を避けるため、最終的に彼らは首相選から撤退しました(ただし、クネセット議員選挙には引き続き出馬しました)。

各政党は独自の戦略を展開しました。例えば、メレツ党は宗教政党シャス(Shas)の影響力を抑えることを重視し、世俗的な価値観や結婚法の改革を訴えました。対してマフダル党は「伝統的な価値観」への回帰を強調し、世俗主義的な動きに反発しました。

選挙結果の分析

首相選挙では、エフド・バラク氏が約179万票を獲得し、ネタニヤフ氏を大きく引き離して勝利しました。しかし、クネセット(国会)の議席数では、ワン・イスラエルが26議席にとどまり、単独での政権運営は不可能な状況でした。

1999年総選挙 主要結果まとめ
項目 エフド・バラク(ワン・イスラエル) ベンヤミン・ネタニヤフ(リクード)
首相選 得票率 56.08% 43.92%
首相選 得票数 1,791,020票 1,402,474票
クネセット獲得議席 26議席 19議席

政権発足後の混乱と終焉

バラク首相は、シャス、メレツ、イスラエル・バアリヤ、センター党など、思想的に多様な政党を巻き込んだ複雑な連立政権を構築しました。しかし、この不安定な体制は長くは続きませんでした。

2000年に発生した第2次インティファーダ(パレスチナ uprising)と、それに伴うイスラエル・アラブ人による暴動により、政権は深刻な危機に直面しました。バラク首相は強力な権限を改めて得るために新たな首相選挙を呼びかけましたが、結果的にアリエル・シャロン氏に大敗し、政界を引退することとなりました。

Frequently Asked Questions

なぜ1999年に早期選挙が行われたのですか?

ネタニヤフ政権がパレスチナ和平交渉の停滞により左右両派から支持を失い、さらに国家予算案の通過が困難になったため、不信任の状況を受けて早期選挙が決定されました。

エフド・バラク氏が勝利した主な要因は何ですか?

パレスチナとの和平交渉の進展と、レバノン南部からの撤退という明確な公約を掲げたこと、そして中道左派をまとめた「ワン・イスラエル」連合を形成したことが奏功しました。

「ワン・イスラエル」とはどのような組織でしたか?

エフド・バラク氏率いる労働党が、ゲシェルおよびメイマドという政党と結成した選挙連合です。中道左派の票を統合し、安定した政権基盤を作ることを目的としていました。

バラク政権はなぜ短期間で崩壊したのですか?

第2次インティファーダの勃発と、国内のアラブ系住民による暴動への対応に苦慮し、政治的なリーダーシップを維持できなくなったため、バラク首相が辞任しました。

この選挙における「直接選挙制度」とは何ですか?

通常、イスラエルの首相は国会(クネセット)の多数派によって選出されますが、1996年から一時的に導入された、国民が直接首相を選ぶ制度のことです。

References

  1. Shinui won 2 seats in 1996 as part of Meretz.
  2. , who left Meretz, and , who left the Third Way.
  3. This is a direct reference to a line in Israel's national anthem, .
  4. Shinui gained 4 seats in comparison to 1996, when they were part of Meretz.
  5. The National Union gained 2 seats in comparison to Moledet, its only then-extant member party in 1996.