アメリカ合衆国の西部開拓時代において、現在のアイダホ州の原型となったアイダホ準州(Territory of Idaho)は、1863年から1890年までの約27年間にわたり存在した組織的な準州です。広大な土地を抱えて誕生したこの地域は、政治的な境界線の変動や資源開発、そして多様な移民の流入を経て、最終的に合衆国の正式な一州へと成長しました。
Key Facts
- 存続期間:1863年3月3日から1890年7月3日まで。
- 首都の変遷:当初のルイストン(1863-1866)からボイシ(1866-1890)へ移行。
- 領土の変化:設立当初は現在のアイダホ州、モンタナ州、ワイオミング州の大部分を含んでいた。
- 経済の柱:金や銀などの鉱物資源の採掘、特にシルバーバレーでの鉛生産が重要だった。
- 州昇格:1890年に正式にアイダホ州として連邦に加入。
準州の誕生と領土の再編
アイダホ準州は、1863年にエイブラハム・リンカーン大統領の署名による議会法によって設立されました。この地域はもともと、オレゴン準州やダコタ準州などの広大な領域が分割されて形成されたものです。設立当初の境界線は非常に広く、現在のアイダホ州だけでなく、モンタナ州のほぼ全域とワイオミング州の大部分をカバーしていました。
この地域を東西に貫いていたのが、有名なオレゴン・トレイル(西進する入植者の主要ルート)であり、カリフォルニア・トレイルやモルモン・トレイルなどのルートも、スネーク川盆地を通じてこの地へと人々を導きました。

しかし、領土の規模は時間の経過とともに縮小していきます。1864年には北東部が分離してモンタナ準州となり、南東部の一部はダコタ準州へ編入されました。さらに1868年には、西経111度以東の地域がワイオミング準州として独立したことで、アイダホ準州の境界線は現在の州境とほぼ同じ形になりました。
政治的混乱と社会の発展
初期のアイダホ準州は、政治的な対立に揺れていました。特に南北戦争後に流入した南部民主党支持者と、連邦政府から任命された共和党系の知事との間で激しい衝突が起こりました。1867年には、デビッド・W・バラード知事が州議会に対抗して連邦軍の保護を求めるという異例の事態にまで発展しましたが、1870年頃にはこうした混乱は沈静化に向かいました。
社会インフラの整備も急速に進みました。1860年代半ばにはルイストンやボイシで新聞が発行され、1866年には電信網が、1878年にはルイストンで太平洋北西部初の電話通話が実現しました。また、教育制度や馬車による輸送網も早期に確立されました。
治安維持の面では、1870年にアイダホ準州刑務所の建設が始まり、1872年に完成しました。この施設は1973年まで州立刑務所として使用され、現在は歴史的な価値が認められ、博物館や植物園として公開されています。

経済成長と多様な人口構成
1860年代から始まった金や銀などの鉱物資源の発見は、準州に爆発的な人口流入をもたらしました。1869年の大陸横断鉄道の完成によりアクセスが向上し、鉱山労働者として多くの中国人移民がやってきました。特にアイダホシティでは、1870年時点で住民の約半分を中国人が占めていたという記録もあります。
経済面では、抽出産業が中心となり、特にシルバーバレーで採掘される鉛は、州昇格直前の1890年代には全米最大の輸出量を誇るまでになりました。
一方で、社会的な摩擦もありました。末日聖徒イエス・キリスト教会の信徒たちは、一部で不信感を持たれており、1882年には多妻制を理由に投票権を剥奪されるという措置が取られました。この政治的背景が、人口規模で上回っていたユタ準州よりも先にアイダホが州昇格を果たす一因となりました。
州昇格への道のりと人口推移
1880年代に入ると、首都をボイシに移したことへの反発から、北部アイダホをワシントン準州に返還させようとする動きが強まりました。一時は議会で返還法案が提出されましたが、グロバー・クリーブランド大統領によるポケット拒否権の発動により、準州の分裂は回避されました。その後、アイダホ大学が北部のモスコーに設置されたことで、南北の感情的な対立は緩和されました。
1889年に憲法制定会議が開かれ、住民の承認を経て、1890年7月3日にベンジャミン・ハリソン大統領によって正式に合衆国の州として承認されました。
| 年 | 人口 | 増減率 |
|---|---|---|
| 1870年 | 14,999人 | — |
| 1880年 | 32,610人 | +117.4% |
| 1890年 | 88,548人 | +171.5% |
Frequently Asked Questions
アイダホ準州の最初の首都はどこでしたか?
最初の首都はルイストンであり、1863年から1866年まで機能していました。その後、1866年にボイシへと移転しました。
なぜアイダホ準州は設立当初、現在の州よりも広かったのですか?
設立時は行政上の便宜から、現在のモンタナ州やワイオミング州の大部分を含む広大なエリアを管轄していましたが、その後の人口増加と行政ニーズの変化に伴い、別の準州として分離・独立していったためです。
当時の経済を支えた主な産業は何でしたか?
金、銀、鉛などの鉱物資源の採掘を中心とした抽出産業が経済の主軸でした。特に鉛の生産量は非常に高く、全米有数の規模を誇っていました。
州昇格にあたってどのような困難がありましたか?
北部と南部の地域対立が激しく、北部アイダホをワシントン準州へ分離させようとする政治的な動きがありました。また、宗教的な対立による投票権の制限などの社会的な混乱も存在しました。
中国人移民はどのような役割を果たしましたか?
主に鉱山での労働者として貢献したほか、料理人や洗濯業などのサービス業に従事し、地域のコミュニティ形成の一翼を担いました。
References
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