Diagram of relationships between manuscripts
← ホームへ戻る

創世記のテキスト異本古代写本に見る記述の差異と変遷

🗓 2026年8月8日

聖書の冒頭を飾る「創世記」は、数千年にわたり書き写され、翻訳されてきました。その過程で、使用される単語や文章の構造にわずかな、あるいは顕著な違いが生じました。これらはテキスト異本(Textual Variants)と呼ばれ、聖書学において当時の言語感覚や神学的解釈の変遷を辿るための重要な手がかりとなります。

本記事では、ヘブライ語の原典とされるマソラ本文から、ギリシャ語の七十人訳、ラテン語のウルガタまで、主要な写本間でどのような記述の差異が存在するのかを具体的に解説します。

Diagram of relationships between manuscripts

主要な写本と略号の定義

聖書批評の世界では、膨大な数の写本を効率的に識別するために特定の略号(シグラ)が用いられます。以下に、創世記の異本研究で頻繁に登場する主要な資料をまとめます。

  • MT (Masoretic Text):マソラ本文。伝統的なヘブライ語聖書の標準テキスト。
  • LXX (Septuagint):七十人訳。ヘブライ語からギリシャ語へ翻訳された最古の訳本の一つ。
  • SP (Samaritan Pentateuch):サマリア五書。サマリア人が保持していたモーセ五書の写本。
  • Vg (Vulgate):ウルガタ。ラテン語訳聖書。
  • 4QGen:死海文書(クムラン洞窟4で発見された創世記断片)。
  • LC (Leningrad Codex):レニングラード写本。現存する最古のマソラ本文の一つ。

創世記に見られる具体的な異本の例

記述の差異は、単なる誤記から、翻訳者の意図的な解釈の変更まで多岐にわたります。

天地創造と初期の記述(1章〜2章)

創世記1章2節の「混沌として空虚であった」という表現は、マソラ本文(MT)や死海文書では「tōhû wāḇṓhû」と記されていますが、七十人訳(LXX)では「見えず、形作られていなかった」というニュアンスに訳されています。また、1章9節の「場所(māqôm)」という単語が、一部の死海文書では「儀式用の浴槽(mikveh)」を意味する言葉に置き換わっている例もあり、後世のユダヤ教の習慣が反映されている可能性が指摘されています。

創造の完了時期についても差異が見られます。2章2節において、MTは神が「7日目」に仕事を終えたと記していますが、サマリア五書(SP)や七十人訳(LXX)では「6日目」に完了したと記述されており、安息日の概念に関する解釈の違いが伺えます。

人類の原罪とカインの物語(4章)

カインとアベルの物語(4章8節)では、MTにはない「野に行こう」というカインの誘い文句が、サマリア五書や七十人訳には含まれています。また、カインが受けた罰に関する4章12節の「放浪する者(nāʕ wānāḏ)」という表現は、七十人訳では「嘆き、震える者」と訳され、心理的な苦痛がより強調された表現になっています。

ノアの箱舟と素材の謎(6章〜7章)

6章14節に登場する箱舟の素材「ゴフェルの木(gopher wood)」は、聖書の中でここにしか登場しない単語(ハパックス・レゴメノン)です。七十人訳ではこれを「四角い木」と訳し、ウルガタでは「磨かれた木」としています。また、「箱舟(tēḇah)」という言葉自体、本来は船ではなく「収納箱や籠」を指す言葉であり、それが巨大な構造物として適用されている点も特徴的です。

Genesis 34 in Brenton's Septuagint translation (1879)

後世の物語における詳細な差異(34章)

34章のディナの物語では、登場人物の呼称に違いが見られます。例えば「ヒヴィ人ハモール」という記述が、七十人訳の一部では「フルリ人エンモール」となっており、民族的な同定に差異が生じています。また、34章14節では、MTでは単に「彼らは言った」とされる箇所が、七十人訳では「シメオンとレビ、レアの息子たちであるディナの兄弟たちが言った」と具体的に補足されています。

Key Facts:創世記の異本に関する重要事項

  • 多様な伝承:マソラ本文だけでなく、死海文書サマリア五書などの異なる系統のテキストが存在する。
  • 翻訳による解釈:七十人訳(ギリシャ語)やウルガタ(ラテン語)は、単なる翻訳ではなく、当時の神学的視点による再解釈が含まれている。
  • 語彙の変遷:特定の単語(例:ゴフェルの木)の解釈が写本によって異なり、植物学的な特定を困難にしている。
  • 構造的差異:一部の写本では、物語の展開を補足する文章が追加されていたり、逆に省略されていたりする。

テキスト比較まとめ

主要写本における記述の傾向
比較項目 マソラ本文 (MT) 七十人訳 (LXX) サマリア五書 (SP) ウルガタ (Vg)
創造完了日 (2:2) 7日目 6日目 6日目 -
カインの誘い (4:8) 記述なし あり あり -
箱舟の素材 (6:14) ゴフェルの木 四角い木 - 磨かれた木
人物の具体化 (34:14) 簡潔な記述 詳細な補足あり - 省略あり

Frequently Asked Questions

なぜ同じ聖書なのに写本によって内容が違うのですか?

古代の聖書はすべて手書きで複製されていたため、書き写し時の単純なミス(脱字や誤記)が発生しました。また、翻訳者が読者の理解を助けるために意図的に言葉を補ったり、当時の教義に合わせて表現を調整したりしたため、差異が生じました。

どの写本が「正解」で、最も信頼できるのでしょうか?

「正解」という単一のテキストがあるわけではなく、目的によって異なります。伝統的なユダヤ教ではマソラ本文が重視されますが、聖書学者は死海文書などのより古い断片を分析することで、元のテキストに近い形を復元しようと試みています。

「七十人訳」とは具体的にどのような資料ですか?

紀元前3世紀から2世紀にかけて、ヘブライ語が話せなくなったユダヤ人たちのために、旧約聖書をギリシャ語に翻訳したものです。新約聖書の著者が引用した旧約聖書の多くはこの七十人訳に基づいていると言われています。

「ゴフェルの木」のように、正体がわからない単語はどう扱われますか?

このような単語を「ハパックス・レゴメノン(一度しか現れない言葉)」と呼びます。他の写本(七十人訳やウルガタ)での訳し方を比較することで、それがどのような性質の素材であったかを推測する研究が行われています。

死海文書の発見は、創世記の研究にどのような影響を与えましたか?

死海文書の発見により、マソラ本文よりも数百年古いテキストが確認されました。これにより、マソラ本文が非常に正確に保存されていたことが証明される一方で、七十人訳に近い記述を持つ古いヘブライ語テキストが存在していたことも判明し、テキストの多様性が再認識されました。

References

  1. J.P. van de Giessen (2003). "Legenda tekstkritische notities". bijbelaantekeningen.nl (in Dutch). Retrieved 5 November 2022.
  2. J.P. van de Giessen (2003). "Genesis 1:2". bijbelaantekeningen.nl (in Dutch). Retrieved 10 May 2022.
  3. Biblos.com & Helps Ministries (2011–2018). "Genesis 1 Interlinear Bible". Biblehub.com. Retrieved 10 May 2022.
  4. Charles Van der Pool (1996). "Apostolic Bible Polyglot Genesis 1". Biblehub.com. Retrieved 10 May 2022.
  5. Colunga & Turrado, ed. (1946). "Genesis 1 VULGATE;NIV - Bible Gateway". biblegateway.com. Retrieved 25 October 2022.
  6. J.P. van de Giessen (2003). "Genesis 1:7". bijbelaantekeningen.nl (in Dutch). Retrieved 11 May 2022.
  7. J.P. van de Giessen (2003). "Genesis 1:9". bijbelaantekeningen.nl (in Dutch). Retrieved 11 May 2022.
  8. Gen 1:14
  9. Gen 1:14
  10. Florentin, Moshe; Tal, Abraham (2024). The Samaritan Pentateuch: An English Translation with a Parallel Annotated Hebrew Text.

📸 フォトギャラリー

Diagram of relationships between manuscripts
Genesis 34 in Brenton's Septuagint translation (1879)