アメリカ合衆国アリゾナ州に位置するフロレンスは、古代文明の足跡から開拓時代の熱気まで、重層的な歴史を持つ街です。ハイランドの自然と豊かな水資源に恵まれたこの地は、時代ごとに異なる人々によって発展してきました。
主要な歴史的事実
- 古代の記憶: 約1,200年前、高度な灌漑システムを持つホホカム人が居住していた。
- 領土の変遷: 1800年代初頭はメキシコ領だったが、1853年のガズデン購入により米国領となった。
- 街の創設: ラグルズ氏がギラ川の渡渉点を見出し、計画的な街づくりを行った。
- 経済の転換点: 1875年の銀発見により、有名なシルバーキング鉱山が誕生した。
- 行政の中心: 新設されたピナル郡の郡庁所在地として発展した。
古代文明から米国領への移行
フロレンスの歴史は、今から約1,200年前に遡ります。かつてこの地にはホホカム人(古代ソノラ砂漠に居住した先住民族)が暮らしていました。彼らはギラ川の近くに定住し、広大な運河を建設して効率的な農業を展開していましたが、その文明がどのように終焉を迎えたのかは、今なお謎に包まれています。
その後、1800年代初頭にはメキシコの管轄下に置かれていました。しかし、1853年に結ばれたガズデン購入(米国がメキシコから南部領土を買い取った外交合意)によって、ギラ川以南の土地はアメリカ合衆国政府の統治下へと移りました。
開拓者ラグルズによる街の設計
この地の農業的な可能性に着目したのが、開拓者のラグルズ氏でした。彼はギラ川で渡りやすい地点を発見し、1ブロックを125平方フィートとする精密な区画整理を行い、街の基礎を築きました。街の名前の由来については、彼の娘の名前から取ったという説もありますが、歴史家の間ではイタリアの都市フロレンスにちなんで名付けられたという見方が一般的です。
1869年には、R.C.マコーミック知事の尽力で郵便局が設置されました。同年9月、25マイル離れたブルーリバー駅から馬に揺られて届いた最初の郵便物が、この街の外部との繋がりを象徴しました。また、ラグルズ氏は同年、自身の家族のための家と雑貨店を建設しています。当時の住居の跡は、現在もクォーツ通りとウィロウ通りの間のラグルズ通りに残されています。
地域のシンボルと行政の発展
1878年、地元で生産されたアドベ(日干しレンガ)を用いて、初代ピナル郡裁判所が建設されました。建築に必要な木材は、ワゴンを用いてアリゾナ州北部から運ばれたものです。この建物はその後、病院や保健センター、高齢者施設、そして博物館として利用され、多目的な役割を果たしてきました。その歴史的価値が認められ、1974年7月30日に国家歴史登録財(参照番号 #74000461)に指定されています。
ラグルズ氏自身も、米国土地局の登記官や受領官、治安判事、教育委員、郡財務官、さらには準州議会議員を3期務めるなど、地域の政治・行政の要として多大な貢献をしました。
また、1875年に近隣の山々で銀が発見されたことで、地域経済は大きく活性化し、名高い「シルバーキング鉱山」の創設へと繋がりました。
フロレンスの歴史概要まとめ
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 古代の居住者 | ホホカム人(高度な灌漑農業を展開) |
| 領土変更 | 1853年 ガズデン購入により米国領へ |
| 郵便開始 | 1869年9月(ブルーリバー駅から馬便で到着) |
| 重要建築物 | 初代ピナル郡裁判所(1878年建設、アドベ造り) |
| 経済的転換点 | 1875年の銀発見(シルバーキング鉱山) |
Frequently Asked Questions
フロレンスの街の名前はどのようにして決まりましたか?
創設者のラグルズ氏にフロレンスという名の娘がいましたが、多くの歴史家は、イタリアの都市フロレンスにちなんで名付けられたと考えています。
ホホカム人はどのような人々でしたか?
約1,200年前にギラ川周辺に住んでいた先住民族で、大規模な運河を構築して農業を営んでいたことで知られています。
初代ピナル郡裁判所はどのような素材で造られましたか?
地元で製造されたアドベ(日干しレンガ)が使用され、木材はアリゾナ州北部から馬車で運ばれました。
シルバーキング鉱山はいつ、どのようにして誕生しましたか?
1875年に近隣の山々で銀が発見されたことにより、この有名な鉱山が設立されました。
ラグルズ氏はどのような役割を担っていましたか?
商人や治安判事、郡財務官などの公職を歴任したほか、準州議会議員を3回務めるなど、街の発展に深く関わりました。