Illustrations of members of the Five Civilized Tribes painted between 1775 and 1850 (clockwise from top left): Sequoyah, Pushmataha, Selocta, Osceola, and Piominko
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五文明部族米国南東部先住民の歴史と変遷

🗓 2026年8月15日

アメリカ合衆国の初期歴史において、南東部に居住していた5つの主要な先住民国家は、政府から五文明部族(Five Civilized Tribes)」と呼ばれました。この呼称は、彼らがキリスト教の受容や中央集権的な政府の設立、文字の導入、さらには市場経済への参加といった、当時のアングロ・アメリカ文化の特性を取り入れたことに由来します。

一部の歴史家は、こうした文化的な適応が、白人入植者の圧力から自分たちの土地を守り、強制移住を回避するための戦略的な生存策であったと分析しています。しかし、現代では「文明化」という言葉自体が、当時の白人側の視点に基づいた自民族中心的な考え方であるとして、批判的に捉えられることもあります。

Illustrations of members of the Five Civilized Tribes painted between 1775 and 1850 (clockwise from top left): Sequoyah, Pushmataha, Selocta, Osceola, and Piominko

Key Facts

  • 構成部族:チェロキーチカソーチョクトーマスコギー(クリーク)、セミノールの5部族。
  • 文化適応:憲法の制定、読み書きの習得、キリスト教への改宗など、欧米文化を積極的に取り入れた。
  • 強制移住:1830年のインディアン移住法により、ミシシッピ川以西の「インディアン準州(現在のオクラホマ州など)」へ強制的に移された。
  • 涙の道:移住の過程で多くの死者を出した過酷な旅路。特にチェロキー族の悲劇として知られる。
  • 現代の状況:現在も部族としてのアイデンティティを保持し、部族間評議会を通じて連携している。

古代のルーツとミシシッピ文化

これらの部族の起源を辿ると、西暦800年から1500年頃にかけて米国中西部から南東部で栄えたミシシッピ文化に行き当たります。この文化圏では、農業による食料余剰が生まれ、人口密度の高い都市的な集落が形成されました。

彼らは巨大な土塁(マウンド)を築くことで知られ、計画的な街路や居住区、公共エリアを備えた高度な社会構造を持っていました。世襲制の首長が統治し、軍事組織も整備されていたため、非常に組織的な社会を構築していたことが分かっています。

The Mississippian culture was a mound-building Native American urban culture, which flourished in the South and Eastern regions of the United States prior to the arrival of White settlers.

激動の19世紀:適応から強制移住へ

18世紀から19世紀初頭にかけて、五文明部族は白人社会との安定した関係を維持しようと努めました。しかし、白人入植者の土地への侵食は止まらず、ついに政府による組織的な排除が始まります。

1828年に就任したアンドリュー・ジャクソン大統領らの主導により、1830年に「インディアン移住法」が成立しました。これにより、ミシシッピ川以東に住む先住民は、西方のインディアン準州へと強制的に移住させられることになります。

特にチェロキー族は激しく抵抗しましたが、最終的に1838年に強制移住が執行されました。この道中で数千人が命を落とした悲劇は、涙の道(Trail of Tears)」として歴史に刻まれています。

Routes of southern removals to the first Indian Territory of the Five Civilized Tribes

オクラホマでの再建と権利の葛藤

移住先のオクラホマ州周辺で、彼らは再びコミュニティを築きました。1849年に建設されたチェロキー族の歴史的裁判所などは、その再建の象徴的な建築物として今に伝えられています。

Cherokee Nation Historic Courthouse in Tahlequah, Oklahoma, built in 1849, the oldest public building in present-day Oklahoma[22]

しかし、その後も困難は続きました。19世紀後半のドーズ法(Dawes Act)により、部族の共同所有地は解体され、個人への割り当てが行われました。これにより、余った土地は非先住民に売却され、部族の統治権はさらに弱められていきました。

The boundaries of the Five Civilized Tribes in Oklahoma, in 1866

解放奴隷(フリードメン)を巡る問題

五文明部族の中には、白人文化を取り入れた結果、黒人奴隷を所有していた部族もありました。南北戦争後の1866年の条約により、解放された黒人(フリードメン)に市民権を与えることが求められましたが、その適用を巡っては部族間で対応が分かれました。

20世紀に入ると、血統に基づく会員資格の制限により、多くのフリードメンの子孫が部族から排除される事態となりました。しかし、21世紀に入り、チェロキー族などが憲法を改正し、彼らに再び完全な市民権を認める動きが進んでいます。

各部族の特徴と現状

五文明部族の概要まとめ
部族名 主な言語グループ 歴史的特徴 現在の主な拠点
チェロキー イロコイ語族 独自の文字を持ち、激しく移住に抵抗した。 オクラホマ州タレクア、ノースカロライナ州
チョクトー マスクギー語族 ミシシッピ川流域の文化を継承。全米3位の人口規模。 オクラホマ州デュラント、ミシシッピ州
チカソー マスクギー語族 南北戦争時に南部連合と同盟した経緯がある。 オクラホマ州
マスコギー(クリーク) マスクギー語族 複数の部族からなる連合体として活動していた。 オクラホマ州、アラバマ州、フロリダ州
セミノール マスクギー語族(関連) フロリダの湿地帯で激しく抵抗し、「不屈の人々」と呼ばれる。 オクラホマ州、フロリダ州

Frequently Asked Questions

なぜ「文明部族」と呼ばれたのですか?

当時の米国政府が、キリスト教の信仰、成文憲法の制定、読み書きの能力、市場経済への参加など、欧米的な社会構造を取り入れた彼らを、他の先住民と区別して「文明化している」と見なしたためです。

「涙の道」とは具体的にどのような出来事でしたか?

1830年代、インディアン移住法に基づき、南東部の先住民が現在のオクラホマ州へ強制的に歩かされた過酷な移住路のことです。劣悪な環境と病気により、特にチェロキー族などで数千人の犠牲者が出ました。

セミノール族が「不屈の人々」と呼ばれるのはなぜですか?

多くの部族が強制移住させられた中、一部のセミノール族はフロリダ州のエバーグレーズ(湿地帯)に逃れ、米軍との激しい戦争(セミノール戦争)を通じて最後まで降伏しなかったためです。

フリードメン(解放奴隷)との関係はどうなっていますか?

かつて部族内で奴隷として扱われていた黒人とその子孫のことです。長年、部族の市民権を巡る法的・政治的な争いがありましたが、近年ではチェロキー族などが彼らの権利を正式に認める方向へ進んでいます。

現在、これらの部族はどこに住んでいますか?

多くは強制移住先のオクラホマ州に拠点を置いていますが、移住を免れた人々や後に戻った人々により、ノースカロライナ州やフロリダ州、アラバマ州などにもコミュニティが存在しています。

References

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  2. Barry Pritzker (2000). A Native American Encyclopedia: History, Culture, and Peoples. Oxford University Press. p. 389.  .
  3. Theda Perdue; Michael D Green (2001). The Columbia Guide to American Indians of the Southeast. Columbia University Press. pp. 75–77.  .
  4. "Five Civilized Tribes". Encyclopedia of Oklahoma History & Culture. Oklahoma Historical Society. Archived from the original on 2014-12-28. Retrieved 2015-01-22.
  5. Roberts, Alaina. "Opinion: How Native Americans adopted slavery from white settlers". Al Jazeera. Retrieved 30 July 2021.
  6. Smith, Ryan P (6 March 2018). "How Native American Slaveholders Complicate the Trail of Tears Narrative". Smithsonian Magazine. Retrieved 30 October 2021.
  7. Michael D. Green (2006). "The Five Tribes of the Southeastern United States". In Charles Robert Goins; Danney Goble (eds.). Historical Atlas of Oklahoma. University of Oklahoma Press. pp. 52–53.  .
  8. "Inter-Tribal Council of the Five Civilized Tribes".
  9. Indians: the Five Civilized Tribes in Indian Territory: The Cherokee, Chickasaw, Choctaw, Creek, and Seminole Nations. United States Census Printing Office. 1890. p. 7.
  10. Robert M. Lewis (21 January 2008). "Wild American Savages and the Civilized English: Catlin's Indian Gallery and the Shows of London". European Journal of American Studies. 3 (3–1): 13, 15. :10.4000/ejas.2263.  1991-9336.

📸 フォトギャラリー

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Cherokee Nation Historic Courthouse in Tahlequah, Oklahoma, built in 1849, the oldest public building in present-day Oklahoma[22]