エレノア・スミールとNOW:女性の権利拡大に捧げた3つの会長任期

アメリカの女性権利向上において中心的な役割を果たした全米女性組織(NOW)の歴史を語る上で、エレノア・スミールの存在は欠かせません。彼女は計3回にわたりNOWの会長を務め、法的な権利の確立から社会的な意識改革まで、多岐にわたる分野でリーダーシップを発揮しました。

主要な実績(Key Facts)

  • ERA(男女平等修正案)の批准に向けた大規模なキャンペーンと1978年の行進を主導。
  • 政治分析において、男女間の投票行動の差を示す「ジェンダーギャップ」という言葉を初めて提唱。
  • NOWの会員数を22万人まで拡大し、年間予算1,300万ドル規模の組織へと成長させた。
  • 1986年に、女性のリプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)を支持する大規模な行進を成功させた。
  • 1987年に「フェミニスト・マジョリティ」を設立。

第1期:ERA批准への情熱と組織化(1977年〜1979年)

1977年、カレン・デクロウの後任としてエレノア・スミールが初めてNOWの会長に就任しました。当時の最大の課題は、憲法修正第28条として提案されていたERA(男女平等修正案)の批准でした。スミールは、批准期限が迫る中でエリザベス・ホルツマン下院議員に働きかけ、議会に提案を促すという戦略的な動きを見せました。

彼女のリーダーシップが最も顕著に現れたのが1978年のERA行進です。10万人以上の参加者を動員したこの大規模なデモの結果、議会はERAの批准期限を1982年6月30日まで延長することを決定しました。

第2期:権利の拡大と「ジェンダーギャップ」の発見(1979年〜1982年)

1979年に再選を果たしたスミールは、活動の幅をさらに広げました。社会保障制度における女性への公平性の追求や、軍関係者およびその家族に対する中絶資金制限への反対表明、さらにはレズビアンおよびゲイの権利擁護に尽力し、1979年の全米レズビアン・ゲイ権利行進を支援しました。

政治的な転換点となったのが、ロナルド・レーガン大統領の就任です。スミールは、レーガン政権が進めようとした中絶反対の「人間生命修正案(Human Life Amendment)」を阻止するための全国的なキャンペーンを展開しました。また、彼女は男性と女性の投票傾向の顕著な違いを分析し、「ジェンダーギャップ」という概念を世に送り出した人物でもあります。

ERAの批准に向けて心血を注いだ結果、彼女の任期は通常よりも延長されました。その間にNOWは会員数22万人、年間予算1,300万ドルという巨大組織へと成長しましたが、1982年の期限までに批准に必要な州数にわずかに届かず、ERAは成立しませんでした。また、この時期の活動方針について、マイノリティの権利や中絶の権利への注力が不足していると感じる会員も現れ、後の後任者ジュディ・ゴールドスミスへと課題が引き継がれることになります。

第3期:戦略的転換とリプロダクティブ・ライツの推進(1985年〜1987年)

1985年、スミールは再び会長の座をかけてジュディ・ゴールドスミスと激しい選挙戦を繰り広げました。両者の哲学的な方向性は一致していましたが、権利を勝ち取るための「政治的戦術」において意見が分かれていました。スミールは、NOWがより積極的かつ公然と、中絶の権利や教会における女性の役割、バチカンの生殖政策といった問題に切り込むべきだと主張しました。

139票という僅差で勝利したスミールは、前任者の取り組みを継承しつつ、1986年に「女性の命のための行進(March for Women's Lives)」を主催しました。ワシントンとロサンゼルスで合わせて15万人以上が集まり、女性の生殖に関する権利への強い支持を表明しました。その後、1987年に彼女は「フェミニスト・マジョリティ」を設立し、新たな活動へと歩みを進めました。

エレノア・スミールのNOW会長任期まとめ

スミール会長の各任期における主要活動
任期 主な焦点・成果 象徴的な出来事
第1期 (1977-1979) ERA批准の推進 1978年 ERA行進(10万人動員)
第2期 (1979-1982) 社会保障の公平性、LGBT権利、政治分析 「ジェンダーギャップ」という用語の提唱
第3期 (1985-1987) リプロダクティブ・ライツの強化、組織の活性化 1986年 女性の命のための行進(15万人動員)

Frequently Asked Questions

エレノア・スミールが提唱した「ジェンダーギャップ」とは何ですか?

選挙などの政治的な意思決定において、男性と女性の間で投票行動や支持政党に明確な差があることを分析し、名付けた概念です。

ERA(男女平等修正案)は最終的に批准されましたか?

スミールが尽力し、期限の延長も勝ち取りましたが、1982年の期限までに批准に必要な州の数にわずかに届かなかったため、成立しませんでした。

第3期の会長就任時に、前任のジュディ・ゴールドスミスと対立した点はどこですか?

権利を追求するための「戦術的なアプローチ」が異なっていました。スミールは、より公然とした、積極的で主張の強い活動スタイルを求める姿勢を示しました。

「女性の命のための行進」とはどのような目的で行われたものですか?

女性のリプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)を支持し、その重要性を社会に訴えるために1986年に開催された大規模なデモ行進です。

スミールがNOWを去った後に設立した組織は何ですか?

1987年に「フェミニスト・マジョリティ(Feminist Majority)」という組織を設立しました。