エドモンド・カービー・スミス像の歴史と撤去の経緯

アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.にある議事堂には、各州から提供された著名人を称える「国立彫像ホール・コレクション(National Statuary Hall Collection)」という展示があります。かつてここには、南北戦争時代の南部連合軍将軍であったエドモンド・カービー・スミスを記念するブロンズ像が設置されていました。しかし、時代の変遷とともにこの像のあり方が議論され、2021年には撤去されるに至りました。

主要な事実(Key Facts)

  • 制作者:C. アドリアン・ピラーズによるブロンズ彫刻。
  • 設置期間:1922年から2021年まで、フロリダ州の寄贈により議事堂に設置。
  • 人物像:南北戦争における南部連合軍の最後の生存将軍。
  • 交代:アフリカ系アメリカ人の教育者メアリー・マクレオド・ベスーン像に差し替えられた。
  • 現状:議事堂から撤去後、永続的な保管場所は確定していない。

エドモンド・カービー・スミスという人物

エドモンド・カービー・スミスは、アメリカ南北戦争において南部連合軍の将軍を務めた人物です。1893年に没した彼は、南部連合軍の将軍として、また南北戦争の双方を合わせてフル将軍(Full General)として最後に生き残った人物として知られています。

当時、南北戦争には「スミス将軍」という名前の人物が約35名も存在していました。そのため、没後、彼の家族は彼を他の将軍たちと明確に区別するために、姓を「カービー・スミス」へと変更しました。

彫像の設置から撤去まで

このブロンズ像は1922年、フロリダ州からの寄贈によって国立彫像ホール・コレクションに加わりました。除幕式において、ウィリアム・J・シアーズ下院議員は、南部連合議会による決議を引用し、スミスの公正さや誠実さ、法への敬意、そして人々への親切心が高く評価されていたことを強調しました。

しかし、2018年3月19日、リック・スコット知事が署名した法案により、この像をアフリカ系アメリカ人の教育者であり公民権活動家でもあるメアリー・マクレオド・ベスーンの像に差し替えることが決定しました。これに基づき、2021年9月4日にスミス像は議事堂から撤去され、翌2022年7月13日にはベスーン像が新たに披露されました。

撤去後の行方と地域社会の葛藤

議事堂から取り除かれたスミス像の今後の扱いについては、激しい議論が続いています。まず、彼の出生地であるセントオーガスティン市は受け入れを拒否しました。その後、タバレスにあるレイク郡歴史博物館への移送が検討されましたが、地元から強い反対が起こりました。というのも、スミスはレイク郡に居住したことがなく、彼が生まれた当時はレイク郡がセントジョンズ郡(郡庁所在地はセントオーガスティン)の一部だったためです。

2020年7月7日、レイク郡の委員たちは4対1の賛成多数で、この記念碑の受け入れを否決しました。2021年9月の報道によれば、恒久的な保管場所が見つかるまで、フロリダ歴史博物館にて一般公開されない形で一時的に保管される計画となっています。

彫像の概要まとめ

エドモンド・カービー・スミス像の詳細
項目 内容
アーティスト C. アドリアン・ピラーズ
素材 ブロンズ
寄贈州 フロリダ州
展示場所(旧) アメリカ合衆国議事堂ビジターセンター
展示期間 1922年 〜 2021年
後継の像 メアリー・マクレオド・ベスーン

よくある質問(FAQ)

なぜスミス将軍の家族は名前を変更したのですか?

南北戦争当時、「スミス将軍」という名前の人物が約35名存在したため、彼を他の将軍と区別し、個人のアイデンティティを明確にするために「カービー・スミス」という名前に変更しました。

彫像はなぜ撤去されたのですか?

フロリダ州の法案に基づき、南部連合の将軍であるスミス像に代わり、公民権活動家であるメアリー・マクレオド・ベスーンを称える像を設置することが決定したためです。

レイク郡はなぜ像の受け入れを拒否したのですか?

スミス将軍がレイク郡に住んでいた実績がなく、歴史的な結びつきが薄いことへの地元住民の強い反対があったため、郡委員会が受け入れを否決しました。

現在、彫像はどこにあると考えられていますか?

最終的な保管場所は未定ですが、フロリダ歴史博物館において、一般に公開されない状態で一時的に保管される計画であると報じられています。