1960年代後半のイギリス音楽シーンにおいて、圧倒的な演奏技術で時代の寵児となったのがクリーム(Cream)です。エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーという、当時最高峰のスキルを持つ3人が集結したこのグループは、単なるブルースの再解釈に留まらず、後のハードロックやプログレッシブ・ロックの礎を築きました。
Key Facts
- 構成メンバー:エリック・クラプトン(Gt/Vo)、ジャック・ブルース(Ba/Vo)、ジンジャー・ベイカー(Dr)の3名。
- 音楽的功績:サイケデリック・ロックとアメリカン・ブルースを融合させ、即興演奏(ジャム)をステージの主役に据えた。
- 代表作:『Fresh Cream』『Disraeli Gears』『Wheels of Fire』の3枚の主要アルバム。
- 活動期間:1966年に結成し、1968年に一度解散。その後、1993年と2005年に再結成を果たした。
伝説の始まり:最強の3人が揃った瞬間
クリームの結成は、当時のトップギタリストであったエリック・クラプトンが、より自由な表現を求めて新たなバンドを模索したことから始まりました。クラプトンは、グラハム・ボンド・オーガニゼーションにいたドラマーのジンジャー・ベイカーと意気投合し、新グループの結成に合意します。その際、クラプトンが条件として提示したのが、同じくボンドの元メンバーであるジャック・ブルースをベーシストに迎えることでした。
興味深いことに、ベイカーとブルースの間には激しい不仲があり、過去にはステージ上での喧嘩や楽器の破壊、さらには刃物による脅迫まであったと言われています。しかし、音楽的な才能への相互評価が勝り、彼らは「最高の人材(Cream of the crop)」という意味を込めてバンド名を「クリーム」と定めました。

1966年7月の非公式デビューを経て、彼らはウィンザー・ジャズ&ブルース・フェスティバルで正式に活動を開始。当初はブルースのカバー中心でしたが、その圧倒的な演奏力で観客を魅了しました。また、ロンドンに到着したばかりのジミ・ヘンドリックスとの共演も、当時の音楽シーンにおける彼らの地位を象徴する出来事でした。

音楽的進化と黄金期のアルバム
デビューアルバム『Fresh Cream』では、オリジナル曲とブルース・カバーを織り交ぜ、ロックにおける初期のドラムソロを提示するなど、その方向性を明確にしました。その後、1967年に制作された『Disraeli Gears』で彼らは頂点に達します。サイケデリックな色彩を取り入れたこの作品に収録された「Sunshine of Your Love」は、全米チャート5位を記録する大ヒットとなりました。

ライブパフォーマンスにおいても、彼らは進化を続けました。特にアメリカでの公演では、ヒッピー文化の影響もあり、1曲に20分を費やすような長大な即興演奏(ジャム)が定番となり、彼らの代名詞となりました。

1968年にリリースされたダブルアルバム『Wheels of Fire』では、さらに実験的なアプローチを追求。変拍子の導入やオーケストラ楽器の使用など、プログレッシブ・ロックへの傾倒が見られました。一方で、「Born Under a Bad Sign」のような骨太なブルースも収録し、スタジオ録音とライブ録音の両面から彼らの真価を証明しました。

崩壊へのカウントダウンと解散
絶頂期にありながら、内部では深刻な亀裂が生じていました。過酷なツアー日程に加え、音量の増大がメンバー間のストレスを加速させました。特にブルースが使用したマーシャル・アンプの爆音は、ベイカーのドラムをかき消し、精神的な対立を深める要因となりました。クラプトンは常に二人の仲裁役に回っていましたが、次第に「お互いの演奏を聴かず、個々の技量を誇示し合っているだけだ」と感じるようになります。

また、クラプトンはボブ・ディランの元バックバンドである「ザ・バンド」の音楽性に惹かれ、派手なサイケデリアから離れたいという願望を抱いていました。さらに、音楽誌『ローリング・ストーン』での厳しい批評を受けたことも、彼がバンドの終焉を決意する一因となりました。
1968年11月、ロイヤル・アルバート・ホールでの2日間の公演をもって、彼らは惜しまれつつ解散しました。解散後にリリースされたアルバム『Goodbye』には、ジョージ・ハリスンが参加した「Badge」などが収録されており、彼らの最後の輝きを記録しています。
再結成とその後
解散後、メンバーはそれぞれ異なる道を歩みました。クラプトンはブラインド・フェイスやデレク・アンド・ザ・ドミノズを経てソロとして成功し、ブルースとベイカーもそれぞれの音楽的探求を続けました。その後、1993年のロックandロールの殿堂入りを機に一度だけ共演し、2005年にはロイヤル・アルバート・ホールとマディソン・スクエア・ガーデンで再結成コンサートを開催しました。

しかし、2005年の再結成でも、かつての不仲が再燃。特にニューヨーク公演では、ベイカーがブルースの振る舞いに激怒し、「二度とクリームのギグはない」と断言するに至りました。2014年にジャック・ブルース、2019年にジンジャー・ベイカーがこの世を去り、現在はエリック・クラプトンが唯一の生存メンバーとなっています。

クリームの主要作品まとめ
| アルバム名 | リリース年 | 特徴 | 代表曲 |
|---|---|---|---|
| Fresh Cream | 1966年 | ブルースへの敬意とオリジナル曲の融合 | I Feel Free, Toad |
| Disraeli Gears | 1967年 | サイケデリック・ロックの金字塔 | Sunshine of Your Love |
| Wheels of Fire | 1968年 | プログレ的アプローチとライブ録音の融合 | White Room, Crossroads |
| Goodbye | 1969年 | 解散後の遺作集 | Badge |
Frequently Asked Questions
なぜバンド名は「クリーム」になったのですか?
メンバーの3人が、当時のイギリスのブルースやジャズ界において「最高の人材(Cream of the crop)」であると見なされていたため、その言葉から名付けられました。
メンバー間の不仲はどの程度激しかったのでしょうか?
特にブルースとベイカーの間では、ステージ上での喧嘩や楽器の妨害、さらには刃物で脅されるといった極めて激しい対立がありました。これが後の解散の大きな要因となりました。
エリック・クラプトンは歌わなかったのですか?
基本的にはジャック・ブルースがリードボーカルを務めていましたが、クラプトンも「Crossroads」や「Badge」など、いくつかの楽曲でリードボーカルを担当しています。
2005年の再結成コンサートは成功だったのでしょうか?
ロイヤル・アルバート・ホールでの公演は絶賛されましたが、その後のニューヨーク公演では、メンバー間の古い確執が再燃し、演奏面でも不満が残る結果となりました。
クリームが後の音楽に与えた影響は何ですか?
高い技術を持つ3人による「パワー・トリオ」という形式を確立し、即興演奏を重視するスタイルを導入したことで、ハードロックやヘヴィメタルの発展に多大な影響を与えました。
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