映画を単なる娯楽ではなく、保存すべき芸術として定義した場所、それがパリのシネマテーク・フランセーズ映画保存館)です。1936年にアンリ・ラングロワ、ピエール・フランジュ、クリスチアン・ミトリーの3名によって設立されたこの機関は、世界中の映画文化に計り知れない影響を与えました。特に創設者のラングロワは、失われゆく映画フィルムを救い出すことに情熱を注いだ人物として知られています。

主要な事実(Key Facts)

  • 1936年の設立当初はわずか10本のフィルムだったコレクションが、1970年代初頭には6万本以上にまで拡大した。
  • 第二次世界大戦中のナチス占領下においても、多くの貴重なフィルムを破壊から守り抜いた。
  • フランソワ・トリュフォーやジャン=リュック・ゴダールら「ヌーヴェルヴァーグ」の監督たちに多大な影響を与えた。
  • 1968年に起きたラングロワ解任騒動は、後の五月革命へとつながる社会不安の先駆けとなった。

映画遺産の救出とコレクションの拡大

ラングロワの活動は、単なるアーカイブ(記録保存)の枠を超えていました。彼は消滅の危機に瀕していた作品を積極的に収集し、フィルムだけでなく、カメラや映写機、衣装、当時の劇場プログラムといった映画に関連するあらゆる資料を保存しました。これらの膨大なコレクションは、1972年にシャイヨー宮の映画博物館(Musée du Cinéma)へ寄贈され、約2マイルに及ぶ壮大な展示となりましたが、1997年の火災被害により移転を余儀なくされています。

保存手法を巡る対立と困難

ラングロワの映画に対するアプローチは非常に情熱的でロマン主義的でしたが、それはイギリス国立映画アーカイブのアーネスト・リンドグレンが実践していた科学的な管理手法とは対照的でした。合理的な記録管理を欠いていたとされるラングロワの手法は批判の対象となり、実際に1959年7月10日には硝酸塩フィルムの火災により一部のコレクションが失われました。また、この時期には国際映画アーカイブ連盟(FIAF)との間に深刻な亀裂が生じ、その関係修復はラングロワの没後数年まで待つことになります。

次世代の映画作家への影響

シネマテーク・フランセーズは、若き映画作家たちの学び舎となりました。常に最前列を埋め尽くしていた彼らは、後に「シネマテークの子供たち(les enfants de la cinémathèque)」と呼ばれるようになります。ここから、フランソワ・トリュフォー、ジャン=リュック・ゴダール、ジャック・リヴェット、クロード・シャブロル、アラン・レネといった、映画史を塗り替えたヌーヴェルヴァーグ(新しい波)の旗手たちが誕生しました。

「ラングロワ事件」と政治的混乱

1968年、当時の文化大臣アンドレ・マルローは、ラングロワの独断的な運営体制や管理不備を理由に彼を解任し、後任にピエール・バルバンを任命しました。しかし、この決定は映画界に激震を走らせました。パリでは学生運動のリーダーであるダニエル・コーン=ベンディットらが抗議し、カンヌ国際映画祭までもが抗議のために中断されるという異例の事態となりました。

また、アルフレッド・ヒッチコック、黒澤明、フェデリコ・フェリーニ、ジャンニ・セーラといった世界的な巨匠たちが、ラングロワへの支持を表明する電報を送りました。激しい論争の末、同年4月22日にラングロワは復職しましたが、博物館への予算は削減されました。この一連の騒動は、同年5月に勃発する大規模な学生・労働者暴動(五月革命)の前兆であったと分析されています。トリュフォーは映画『盗まれたキス』をラングロワに捧げ、作品の冒頭に閉鎖されたシネマテークの様子を収めました。

シネマテーク・フランセーズの概要まとめ

シネマテーク・フランセーズの歴史的変遷
項目 詳細
設立年 1936年
創設者 アンリ・ラングロワ、ピエール・フランジュ、クリスチアン・ミトリー
コレクション規模 10本(設立時)→ 60,000本以上(1970年代初頭)
主な影響を受けた人物 トリュフォー、ゴダールらヌーヴェルヴァーグの監督たち
歴史的転換点 1968年のラングロワ解任および復職騒動

Frequently Asked Questions

シネマテーク・フランセーズとはどのような施設ですか?

1936年にパリで設立された映画保存館および博物館であり、世界中の映画フィルムや関連資料を収集・保存し、上映を通じて映画文化を継承する機関です。

アンリ・ラングロワはどのような功績を残しましたか?

消滅の危機にあった多くの映画フィルムを救い出したほか、映画機材や衣装などの資料を収集し、後の映画作家たちに多大なインスピレーションを与えたことが挙げられます。

「シネマテークの子供たち」とは誰を指しますか?

シネマテークでの上映会に熱心に通い、そこで得た知識を基に独自の映画表現を追求した、ヌーヴェルヴァーグの監督たち(トリュフォーやゴダールなど)を指します。

1968年の解任騒動がなぜ重要視されているのですか?

単なる人事問題に留まらず、世界的な映画監督たちが連帯して抗議し、当時のフランス社会に渦巻いていた反権力的な空気(五月革命への流れ)を象徴する出来事だったためです。

コレクションの保存においてどのような問題がありましたか?

ラングロワの管理手法が非合理的であるとの批判があり、実際に1959年には硝酸塩フィルムの火災により一部の作品が失われるという事故が発生しました。