アメリカの都市景観を劇的に変えた「シカゴ派」は、単一のスタイルではなく、時代を超えて展開した2つの大きな建築的潮流を指します。19世紀末に誕生した初期のムーブメントは、鉄骨構造という革新的な技術を用いて現代の摩天楼の基礎を築き、その後のヨーロッパにおけるモダニズムにも多大な影響を与えました。そして20世紀半ばには、さらに洗練された機能美を追求する「第二シカゴ派」へと進化を遂げます。
Key Facts
- 鉄骨フレームの導入: 壁で建物を支えるのではなく、内部骨組みで支えることで、かつてない高さの建築が可能になった。
- シカゴ・ウィンドウ: 中央の固定窓と両サイドの可動窓を組み合わせ、採光と換気を両立させた独自の窓形式。
- 古典的構成の継承: 初期高層ビルは、ギリシャ建築の柱のように「基部・シャフト・頂部」の3層構造を持つことが多かった。
- チューブ構造の革新: 第二シカゴ派で導入された、外周部の柱を密に配置して横方向の力に耐える構造システム。
第一シカゴ派:摩天楼の誕生と商業様式
1880年代から1900年代にかけて、シカゴでは商業ビルの需要急増に伴い、建築技術の劇的な転換が起こりました。それまでの石造りやレンガ造りの壁では、高く建てるほど壁を厚くする必要があり、内部空間が制限されるという課題がありました。そこで導入されたのが鉄骨フレーム構造です。これにより、壁は単なる「外装(カーテンウォール)」となり、建物の高さは壁の強度に依存しなくなりました。
フィッシャー・ビル(1895-1896年)などの建築に見られるこの骨組み構造は、都市の垂直方向への拡大を可能にした決定的な要因となりました。

機能美を追求したデザイン的特徴
第一シカゴ派の建物は、装飾を最小限に抑え、構造的な合理性を視覚的に表現することを重視しました。特に、大きなガラス面を持つ「シカゴ・ウィンドウ」は、都市部のビルに十分な光と風を取り入れるための画期的な発明でした。また、外壁にはテラコッタなどの素材が多用され、グリッド状の整然とした外観が特徴です。
例えば、マーケット・ビル(1895年)では、構造フレームを明確に表現したミニマルな装飾と、広々とした窓の配置が際立っています。

また、ホラバード&ローチによるシカゴ・ビル(1904-1905年)のように、シカゴ・ウィンドウの多様なバリエーションを取り入れた事例も多く見られます。

主要な建築家と影響
この時代を牽引したのは、ルイス・サリヴァンやダニエル・バーナム、ウィリアム・ル・バロン・ジェニーといった先駆者たちです。彼らのアプローチは、後の「コマーシャル・スタイル(商業様式)」へと発展しました。なお、フランク・ロイド・ライトもサリヴァンらの事務所でキャリアをスタートさせましたが、後に独自の「プレーリー・スタイル」を確立しました。
第二シカゴ派:モダニズムと構造の革新
1940年代から1970年代にかけて、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエを中心に、より抽象的でニュートラルな形態を追求する「第二シカゴ派」が登場しました。歴史的な装飾を完全に排除し、鋼鉄とガラスという素材そのものの美しさを強調するスタイルが確立されました。
この時代の象徴的なプロジェクトであるレイクショア・ドライブ・アパートメント(1951年)では、構造エンジニアとしてジョージア・ルイーズ・ハリス・ブラウンが重要な役割を果たしました。彼女は米国で2人目の建築免許を持つアフリカ系アメリカ人女性であり、技術的な達成に大きく寄与しました。
チューブ構造による超高層化
さらに、シカゴを拠点とする設計事務所SOM(スキッドモア・オウィングス・アンド・メリル)のファズルル・カーンは、構造設計に革命をもたらしました。彼が考案したチューブ構造は、建物の外周部に密接した柱を配置することで、風などの横方向の力に耐えるシステムです。これにより、内部の柱を減らし、より広大な空間と高い透明性を実現しました。
この技術は、1973年に完成し、1998年まで世界一の高さを誇ったウィリス・タワー(旧シアーズ・タワー)の「束ねられたチューブ(bundled tube)」システムへと結実しました。

シカゴ派建築のまとめ
| 項目 | 第一シカゴ派 (19世紀末〜20世紀初頭) | 第二シカゴ派 (1940年代〜1970年代) |
|---|---|---|
| 主導的な人物 | L.サリヴァン、W.L.ジェニー等 | M.ミース、F.カーン等 |
| 主要構造 | 初期鉄骨フレーム + 石造外装 | チューブ構造 + ガラスカーテンウォール |
| デザイン傾向 | 古典的3層構成、シカゴ・ウィンドウ | ミニマリズム、幾何学的・中立的な形態 |
| 目的 | 商業ビルの高層化と機能性の追求 | 構造的合理性の極致とモダン美学の追求 |
Frequently Asked Questions
「シカゴ派」という言葉は当時から使われていたのですか?
はい。一部の学者は後付けの概念であると主張していましたが、2016年の研究により、1880年代からすでに一般メディアで使用されており、1900年には建築教科書にも記載されていたことが判明しています。
シカゴ・ウィンドウとは具体的にどのような構造ですか?
中央に大きな固定ガラスパネルを配置し、その両脇に小さな上げ下げ窓(ダブルハング・サッシ)を設けた3部構成の窓です。これにより、採光を最大限に確保しつつ、効率的な自然換気を可能にしました。
第一シカゴ派のビルに見られる「3層構造」とは何ですか?
古典的な円柱の構成を模したもので、低層階を「基部(ベース)」、中層階を装飾の少ない「シャフト」、最上階をコーニスなどで飾られた「頂部(キャピタル)」として設計する手法です。
チューブ構造がもたらした最大のメリットは何ですか?
建物の外周部で横方向の荷重を支えるため、内部に太い柱をたくさん立てる必要がなくなりました。その結果、内部空間の自由度が高まり、同時に外壁の多くを窓にすることが可能になりました。
世界初の摩天楼と言われる建物はシカゴにありますか?
1885年にシカゴで建設された「ホーム・インシュアランス・ビル」が世界初の高層ビルと見なされることが多いですが、この建物は1931年に解体されています。
References
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