アメリカ合衆国の建国期において、軍事的な功績と政治的な指導力の両面で足跡を残した人物にベンジャミン・ピアースがいます。彼は独立戦争で勇猛に戦った退役軍人であり、後にニューハンプシャー州の知事を二度にわたって務めました。また、第14代アメリカ合衆国大統領となるフランクリン・ピアースの父としても知られています。
Key Facts
- 軍歴:独立戦争に従軍し、バンカーヒルの戦いに参加。サラトガ戦役での功績により少尉に昇進した。
- 政治的地位:ニューハンプシャー州知事を2期(1827-1828年、1829-1830年)務めた。
- 公職歴:州下院議員やヒルズボロ郡の保安官を歴任した。
- 家族:息子に第14代大統領フランクリン・ピアースを持つ。
- 所属政党:民主共和党。
軍事的な功績と初期の人生
1757年12月25日、マサチューセッツ湾植民地のチェルムスフォードに生まれたベンジャミン・ピアースは、幼少期に父を亡くし、叔父の農場で働きながら成長しました。1775年、彼はエベネザー・ブリッジ率いるマサチューセッツ連隊に入隊し、アメリカ独立戦争という激動の時代に身を投じます。
ピアースは第16大陸連隊(後の第8マサチューセッツ連隊)の一員として、歴史的なバンカーヒルの戦いに参戦しました。その後、サラトガ戦役において見せた勇敢な行動が評価され、第1マサチューセッツ連隊の少尉へと昇進しました。戦後はニューハンプシャー州のヒルズボロに移住し、地元の民兵組織の構築に尽力。1805年には准将に昇進し、州民兵の指揮を執るまでになります。
政治キャリアの歩み
軍での経験を活かし、ピアースは政治の世界でも頭角を現しました。1786年から1788年にかけてニューハンプシャー州下院議員を務めたことを皮切りに、行政の要職を歴任します。特にヒルズボロ郡の保安官としては、1809年から1813年、および1818年から1827年という長期にわたって地域治安の維持に貢献しました。
また、1791年の州憲法制定会議への出席や、知事評議会への参画など、州の制度設計にも深く関わりました。これらの地道な公職経験を経て、彼は民主共和党の候補としてニューハンプシャー州知事に選出されます。知事としての任期は、1827年から1828年、そして1829年から1830年の2回に分かれており、州のリーダーとして政治を導きました。
家族構成と私生活
ピアースの私生活は、深い愛情と喪失の歴史でもありました。最初の妻エリザベス・アンドリュースとは1787年に結婚しましたが、彼女は娘を出産した直後の1788年に、出産に伴う合併症でこの世を去りました。その後、1790年にアンナ・ケンドリックと再婚し、8人の子供に恵まれました。
子供たちの中には、軍人として活躍した長男ベンジャミン・ケンドリックや、後にアメリカ合衆国大統領となる次男フランクリンなど、社会的に成功した人物が多く含まれています。ピアースは、独立戦争の退役軍人による互助組織であるシンシナティ協会の創設メンバーでもあり、晩年はマサチューセッツ州支部の副会長を務めました。この協会の会員資格は長男、次男、三男へと世襲されました。
1838年に妻アンナに先立たれたピアースは、そのわずか4ヶ月後の1839年4月1日、81歳でヒルズボロにて没しました。彼の遺骸は地元のパインヒル墓地に安置されています。
ベンジャミン・ピアースの経歴まとめ
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 生没年 | 1757年12月25日 - 1839年4月1日 |
| 主な役職 | ニューハンプシャー州知事(2期)、ヒルズボロ郡保安官 |
| 軍歴 | 独立戦争従軍、州民兵准将 |
| 所属政党 | 民主共和党 |
| 著名な親族 | フランクリン・ピアース(第14代米大統領) |
Frequently Asked Questions
ベンジャミン・ピアースはどのような軍歴を持っていますか?
独立戦争中に第16大陸連隊に所属し、バンカーヒルの戦いに参加しました。サラトガ戦役での勇敢な行動により少尉に昇進し、戦後はニューハンプシャー州民兵の准将として指揮を執りました。
知事としての任期はどうなっていましたか?
一度に連続して務めたのではなく、1827年から1828年まで、そして1829年から1830年までという2つの異なる期間にわたってニューハンプシャー州知事を務めました。
息子に大統領がいるというのは本当ですか?
はい。次男のフランクリン・ピアースが、後にアメリカ合衆国の第14代大統領(在任1853-1857年)となりました。
シンシナティ協会とは何ですか?
アメリカ独立戦争に従軍した将校たちによって設立された、歴史的な互助・親睦組織です。ベンジャミン・ピアースは創設メンバーの一人であり、その会員資格は息子たちに世襲されました。
彼はどのような政党に属していましたか?
彼は民主共和党(Democratic-Republican Party)に所属し、その党の候補として州知事選に出馬していました。
References
- The Massachusetts Cincinnati (1859). Institution of the Society of the Cincinnati. Boston, MA: C. C. C. P. p. 70 – via .
- Manchester Historic Association (1897). Manchester Historic Association Collections. Vol. 1, Part One. Manchester, NH: John B. Clarke Company. p. 69 – via .
- Bugbee, James M., ed. (1890). Memorials of the Massachusetts Society of the Cincinnati. Cambridge, MA: University Press: John Wilson and Son. p. xxxi – via .
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