バー・ハルヴォルセン第2次内閣:短期間で幕を閉じたノルウェーの少数政府

1920年代のノルウェー政治において、非常に短期間の統治となったのがバー・ハルヴォルセン第2次内閣です。1923年3月6日に発足したこの政権は、わずか3ヶ月足らずでその歴史に幕を閉じました。本記事では、この内閣の構成や、政権崩壊に至った急激な経緯について詳しく解説します。

主要な事実(Key Facts)

  • 期間:1923年3月6日から1923年5月30日まで。
  • 首相:オットー・バー・ハルヴォルセン。
  • 政党構成:保守党および自由主義者党による連立。
  • 議会状況:少数政府として運営。
  • 終結理由:首相であるバー・ハルヴォルセンの死去。

政権の成立と政治的背景

バー・ハルヴォルセン第2次内閣は、政治的危機に伴う政府交代を経て、1922年から1925年までの議会会期中に誕生しました。前任のブレール第2次内閣を引き継ぐ形で発足しましたが、議会内での支持基盤は十分ではなく、少数政府(議会の過半数を握っていない政府)としての運営を余儀なくされました。

この内閣は、保守党と自由主義者党の2党で構成されており、計9名の閣僚が任命されました。国家元首にはホーコン7世が就任していました。

閣僚構成と役割

内閣の構成メンバーは、保守党のメンバーが中心となり、重要なポストを分担していました。特に首相のバー・ハルヴォルセンは、司法大臣および警察大臣も兼任していました。

バー・ハルヴォルセン第2次内閣 閣僚名簿
役職 氏名 所属政党
首相 兼 司法・警察大臣 オットー・バー・ハルヴォルセン 保守党
外務大臣 クリスチャン・フレドリック・ミシュレ 保守党
財務・関税大臣 アブラハム・ベルゲ 自由主義者党
国防大臣 カール・ヴィルヘルム・ヴェフリング 自由主義者党
農務大臣 アンデルス・ヴェンゲル 保守党
教育・教会大臣 イヴァル・B・セーレン 保守党
通商大臣 ヨハン・ヘンリック・リュエ・ホルムボー 自由主義者党
労働大臣 コーネリウス・ミデルトン 保守党
社会大臣 オッド・クリンゲンベルグ 保守党

政府書記官について

当時の政府には「政府書記官(State Secretary)」という役職があり、ハンス・セヴェリン・フュルストが就任していました。ただし、この役職は現代の同名役職とは異なり、1814年から1925年まで使用されていた旧制度の役職で、現在は「政府評議会書記(Regjeringsråd)」として知られています。

政権の終焉と後継

この内閣の崩壊は、政治的な対立ではなく、不測の事態によってもたらされました。1923年5月23日、首相のオットー・バー・ハルヴォルセンが死去したためです。首相の死後、後任が決定するまでの間、クリスチャン・F・ミシュレが首相代行を務めました。

その後、1923年5月30日にアブラハム・ベルゲが新首相に任命され、ベルゲ内閣へと移行しました。これにより、バー・ハルヴォルセン第2次内閣の短い統治期間は終了しました。

Frequently Asked Questions

バー・ハルヴォルセン第2次内閣はなぜ短期間で終わったのですか?

首相であるオットー・バー・ハルヴォルセンが1923年5月23日に死去したため、政権が維持できなくなり解散に至りました。

この内閣はどのような政党で構成されていましたか?

保守党と自由主義者党の2つの政党による連立政権でした。

「少数政府」とはどのような状態を指しますか?

議会において、政府を構成する政党が過半数の議席を持っていない状態を指します。そのため、政策を遂行するには他党の協力を得る必要がありました。

首相が亡くなった後、すぐに後任が決まったのでしょうか?

いいえ。首相の死後、1週間ほどの間はクリスチャン・F・ミシュレが首相代行を務め、その後アブラハム・ベルゲが正式に後任として任命されました。

当時の「政府書記官」は現在の役職と同じですか?

いいえ。1814年から1925年まで使われていた旧称であり、現在の制度における「政府評議会書記(Regjeringsråd)」に相当します。