フィリピンの中央ルソン地方、パンパンガ州に位置するバコロールは、「パンパンガのアテネ」と称されるほど豊かな文化的背景を持つ自治体です。その名はカパンパンガン語で「高い岩場」や「高原」を意味する「Bakúlud」に由来しています。かつては州都として栄え、現在は自然災害からの驚異的な復興を遂げた街として知られています。
バコロールは、カパンパンガン文学の父とされるアンセルモ・ホルヘ・デ・ファハルド神父の故郷であり、学問と芸術への深い敬意が街のアイデンティティに組み込まれています。モットーである「Non Plus Ultra(これ以上の先はない)」は、この地の誇りと到達点を示しています。

Key Facts
- 歴史的地位: 1755年から1904年までパンパンガ州の州都であり、スペイン統治時代にはフィリピンにわずか3つしか存在しなかった「ヴィラ(Villa)」の一つに指定された。
- 自然災害の克服: 1991年のピナトゥボ山噴火によるラハール(火山泥流)で街の大部分が埋没したが、現在はその上に新たな街を築いている。
- 文化的象徴: 半分埋まった状態で保存されている「サン・ギレルモ教会」は、不屈の精神の象徴として世界的に知られる。
- 人口と規模: 2024年の国勢調査では人口59,361人を数え、21のバランガイ(最小行政区)で構成されている。
波乱に満ちた歴史の変遷
スペイン統治時代と州都としての栄光
バコロールの歴史は古く、マニラが建設された1571年にはすでに集落としての計画が存在していました。1755年に正式にパンパンガ州の州都となり、行政の中心地として発展しました。特に注目すべきは、七年戦争中にイギリスがマニラを占領した際、シモン・デ・アンダ・イ・サラサール総督による亡命政府の拠点となったことです。1762年から1764年にかけて、バコロールは実質的な政府の中枢として機能しました。

アメリカ統治から独立、そして戦火へ
20世紀に入ると、1904年に州都の機能は隣接するサンフェルナンドへ移転しました。アメリカ統治下では政治・経済改革が進み、現在のパンパンガ州立大学の前身となる学校が設立されるなど、教育の近代化が進みました。第二次世界大戦中は日本軍の占領を受けましたが、地元ゲリラやフィリピン共和国軍による激しい抵抗運動が展開され、1945年に解放されました。
自然の猛威と再生の物語
バコロールの近代史において最も深刻な出来事は、1991年6月15日のピナトゥボ山噴火です。噴火後数年にわたり、大量のラハール(火山泥流)が街を襲い、21あるバランガイのうち18が埋没しました。最大で約6.1メートルもの泥砂が街を覆い、多くの命と生業が失われました。
しかし、住民はこの困難に屈しませんでした。泥流によって地盤が底上げされた結果、現在の街は海抜20メートルの高さに位置しています。この悲劇的な出来事は、結果として街の景観を劇的に変え、同時に世界に知られるユニークな観光資源を生み出すこととなりました。
観光と文化のハイライト
「沈んだ教会」と聖地巡礼
街の最大のランドマークは、サン・ギレルモ教区教会です。ラハールによって建物の中層まで埋まったため、「沈んだ教会(Sunken Church)」と呼ばれています。現在は改修され、かつての2階の窓が入り口として利用されており、今なお信仰の場として機能しています。また、カベティカンにあるルルドの聖母大聖堂(Sunken Shrine)も、癒やしの巡礼地として多くの人々が訪れます。

その他の歴史的遺産
バコロールには、バターン死の行軍の記念碑や、遠東最古の職業訓練校であるパンパンガ州立大学など、歴史的なスポットが点在しています。また、地元の名士であるフアン・クリソストモ・ソトやフェリックス・ガルーラらの記念碑も、この地の知的伝統を物語っています。

地域データまとめ
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 人口 (2024年) | 59,361人 |
| 総面積 | 71.70 km² |
| 主要言語 | カパンパンガン語、タガログ語 |
| 経済区分 | 第3級自治体所得クラス |
| 主要産業/観光 | 歴史観光、教育、農業 |
Frequently Asked Questions
バコロールが「パンパンガのアテネ」と呼ばれるのはなぜですか?
カパンパンガン文学の父とされるアンセルモ・ホルヘ・デ・ファハルド神父の出身地であり、古くから教育と文学、芸術が盛んな文化的な中心地であったためです。
サン・ギレルモ教会は現在も利用できますか?
はい、利用可能です。ラハールで半分埋まったため、かつての2階部分が現在の地上階となっており、入り口として利用されています。
ピナトゥボ山の噴火は街にどのような影響を与えましたか?
1991年から1995年にかけてのラハール流により、街の大部分が約6メートル埋没し、多くの建物が破壊されました。しかし、現在はその堆積物の上に街が再建されています。
バコロールの主な祭りは何ですか?
毎年2月10日のサン・ギレルモ祭と、11月の第3日曜日に開催されるヌエストラ・セニョーラ・デル・サンティシモ・ロサリオ(ラ・ナバル)祭が主要な行事です。
バコロールへのアクセスや位置は?
パンパンガ州のサンフェルナンドから約9km、アンヘレスから約26km、マニラからは約75kmの距離に位置しています。
References
- Baluyut, Joelyn G. (October 10, 2012). "Bacolor celebrates 250th anniversary with unveiling of statue of Spanish official". PIA Gitnang Luzon. Retrieved December 4, 2022.
- Municipality of Bacolor |
- "2015 Census of Population, Report No. 3 – Population, Land Area, and Population Density" (PDF). Philippine Statistics Authority. Quezon City, Philippines. August 2016. 0117-1453. Archived (PDF) from the original on May 25, 2021. Retrieved July 16, 2021.
- "2024 Census of Population (POPCEN) Population Counts Declared Official by the President". Philippine Statistics Authority. July 17, 2025. Retrieved July 18, 2025.
- "PSA Releases the 2021 City and Municipal Level Poverty Estimates". Philippine Statistics Authority. April 2, 2024. Retrieved April 28, 2024.
- "2024 Census of Population (POPCEN) Population Counts Declared Official by the President". Philippine Statistics Authority. July 17, 2025. Retrieved July 18, 2025.
- Santiago, Luciano (2002). Laying the Foundations: Kapampangan Pioneers in the Philippine Church, 1592-2001. Angeles City: The Juan D. Nepomuceno Center for Kapampangan Studies. . Retrieved October 14, 2019.
- Forman, Michael Lawrence (2019). Kapampangan Dictionary. University of Hawaii Press. p. 20. .
- "Tantingco, Robby P. The Moveable Capital of Pampanga. Singsing, Vol. 4 No. 1" (PDF). Center for Kapampangan Studies. Archived from the original (PDF) on April 12, 2021. Retrieved October 8, 2020.
- Orejas, Tonette (November 18, 2016). "Pampanga town that survived Mt. Pinatubo reclaims Spanish name and seal". Philippine Daily Inquirer. Retrieved July 24, 2023.
📸 フォトギャラリー



