1959年1月16日から31日にかけて、チリ共和国で第3回FIBAバスケットボール世界選手権が開催されました。この大会は、当時の世界最高峰のナショナルチームが集結し、激しい競い合いを繰り広げた歴史的な大会です。ホスト国であるチリのホルヘ・アレサンドリ大統領によって開幕が宣言され、世界各国の精鋭たちが集まりました。
大会の舞台となったのは、アントファガスタ、コンセプシオン、テムコ、バルパライソの4都市、そして最終ステージが行われた首都サンティアゴの計5都市です。もともと決勝ラウンドは新設のメトロポリタン・インドア・スタジアムで予定されていましたが、建設の遅れにより大会日程が1年延期されるという異例の事態となりました。最終的に、屋外のチリ国立競技場へと会場が変更され、少なくとも16,000人の観衆が熱狂的な応援を届けました。
Key Facts
- 優勝国: ブラジル(大会史上初のタイトル獲得)
- 開催地: チリ(5都市で展開)
- MVP: アマウリ・パソス(ブラジル)
- 得点王: ジェームス・T・L・チェン(フォルモサ / 平均20.1得点)
- 参加チーム数: 13チーム
- 総試合数: 48試合
大会の構成と競技形式
本大会は、予選ラウンド、順位決定ラウンド、そして最終ラウンドの3段階で構成されていました。まず13チーム(ホスト国のチリは自動的に最終ラウンドへ進出)が3つのグループに分かれ、総当たり戦を実施。各グループの上位2チームが優勝を争う最終ラウンドへ、下位2チームは順位決定ラウンドへと振り分けられました。
順位決定ラウンドでは、さらに2つのグループに分かれて試合を行い、最終的に8位、10位、12位を決定するプレーオフが行われました。一方、最終ラウンドでは予選を勝ち抜いたチームたちが総当たり戦を行い、最も優れた成績を収めたチームが世界チャンピオンとして称えられました。
激闘の展開とブラジルの栄光
最終ラウンドでは、ブラジル、アメリカ、チリ、フォルモサ、プエルトリコ、ソビエト連邦、ブルガリアの7チームが激突しました。ブラジルは圧倒的な強さを見せ、6試合中5勝を挙げ、見事に初のワールドチャンピオンに輝きました。2位にはアメリカが続き、ホスト国のチリが3位に入賞しました。
大会中には政治的な緊張も走り、ソビエト連邦とブルガリアがフォルモサとの対戦を拒否して不戦敗となったため、FIBAによって順位を最下位層へ降格させるという厳しい措置が取られました。
ブラジルの勝利は、同国のバスケットボール史における金字塔となり、その快挙を記念した切手も発行されました。

大会成績まとめ
以下に、主要な最終結果と個人成績をまとめます。
| 順位 | 国名 | 戦績 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1 | ブラジル | 7勝2敗 | 優勝(初タイトル) |
| 2 | アメリカ | 7勝2敗 | 準優勝 |
| 3 | チリ | 2勝4敗 | 3位(ホスト国) |
| 4 | フォルモサ | 4勝5敗 | 4位 |
個人賞と選出メンバー
大会を通じて最も優れたパフォーマンスを見せたアマウリ・パソス(ブラジル)がMVPに選出されました。また、得点面ではフォルモサのジェームス・T・L・チェンが1試合平均20.1得点という驚異的な数字を記録し、得点王となりました。
オールトーナメントチームには、以下の選手が選ばれました:
- フアン・ビセンス(プエルトリコ)
- アマウリ・パソス(ブラジル / MVP)
- ウラミル・マルケス(ブラジル)
- アタナス・アタノソフ(ブルガリア)
- ヤーニス・クルーミンス(ソビエト連邦)
Frequently Asked Questions
1959年大会の優勝国はどこですか?
ブラジルが優勝し、同国にとって史上初の世界タイトル獲得となりました。
大会の会場が変更になった理由は何ですか?
決勝ラウンドの予定地であったメトロポリタン・インドア・スタジアムの建設が間に合わなかったため、屋外のチリ国立競技場に変更されました。
MVPに選ばれた選手は誰ですか?
ブラジル代表のアマウリ・パソス選手がMVPに選出されました。
得点王は誰で、どのくらいの得点を記録しましたか?
フォルモサ代表のジェームス・T・L・チェン選手が、1試合平均20.1得点を記録して得点王となりました。
政治的な理由で順位に影響が出たチームはありますか?
はい。ソビエト連邦とブルガリアがフォルモサとの試合を拒否し不戦敗となったため、FIBAにより順位を最下位の2チームへと降格させられました。
References
- Head-to-head record: Brazil 1–1 (1.06 GAvg), Soviet Union 1–1 (1.00 GAvg), Canada 1–1 (0.94 GAvg)